DADA
Edited By Rudolf Kuenzli
Themes and Movements
Phaidon

Kurt Schwitters(クルト・シュヴィッタース)
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Merzbau(メルツバウ)
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P.234
Merz-Painting(1919年)

Kurt Schwitters:プリンシプル(原則)であるMerzmalereiはアートの抽象的な作品である。本質的にその世界「メルツ」は芸術的な目的と技法的には個々のマテリアルの基礎的に等しい評価の為のすべての創造できるかぎりのマテリアルの組み合わせを意味している。このようにメルツ絵画はただ一つの色やキャンバスや筆やパレットを使わないが、目に見えるすべてのマテリアルや必要な道具を使う。それ故に、使われたマテリアルが以前に何かの目的の為に形作られたのかどうかは重要ではない。乳母車の車輪や、金網、ひも、綿はみんな塗料と同等の要素である。アーティストはマテリアルを選択することや分類することや変形させることによって創り出すのだ。
マテリアルはピクチャー(絵画)の表面へのそれらの単なる配置によって変形されうる。その効果は、分割したり、曲げたり、被せたり、上から描いたりすることによって高められる。メルツ絵画の中では、木枠の規制もトランプカードも新聞の切り抜きもみんなサーフェス(表面)になる。つまりひもや筆づかいあるいは鉛筆の跡はライン(線)になり、金網、上塗りあるいはパラフィン紙がワニスになり、綿はやわらげるものになる。
メルツ絵画は直観とアートの作品が目に見えるようになる瞬間との間の道を短くすることによって直接的な表現を生み出すことを熱望するものだ。
その言葉は私のアートへの洞察を提供し、正直にも私に続こうとしている人々にはそれをより容易にすることを想定されている。そんなに多くのものがそうしたいとは思わないだろう。彼らは何か新しいものが現れた時に彼らがいつも憤りとあざけりと共に持つのと同じ様に私の作品を受け入れるだろう。

Merz(1919年)

Kurt Schwitters:今日アートの作品における表現のための奮闘でさえも私にはアートにとっては有害に思われる。アートは根本的な概念であり、生活(人生)の神性として、説明できないものとして、定義できないものとして、無意味なものとして高められた。アートの作品はその要素の芸術的な評価を通した存在にはいってくる。私はただ私が如何にそれをするかのみしか知らないし、私は私のマテリアルしか知らない、それは私が取り上げたものからで、私は最後は何なのかは知らない。
マテリアルは私自身と同じくらい重要(本質的)ではない。唯一重要(本質的)なものは与えられたフォーム(形態、形式)である。なぜならマテリアルは重要(本質的)でないからで、私はピクチャー(絵画)の要求にはいかなるマテリアルも使用する。それら自身の中で異なったタイプのマテリアルを調和させることによって、私は単なるオイル・ペインティングを越えた利点を持ち、というのもカラー(色)に対してカラー(色)を偽る他にも、私はまたライン(線)に対してライン(線)を偽り、フォーム(形態)に対してフォーム(形態)を、等々、マテリアル(素材)に対してマテリアル(素材)までも偽り、例えばバーラップ(黄麻繊維の目の粗い布)に対しての木のように。私はこの芸術的創造のモード(方法)が「メルツ」を発生させるところからの世界観を要求する(呼びかける)。