Suprematism: 34 Drawings
Kazmir Malevich
Artists Bookworks; Bilingual edition
Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Kazimir+Malevich&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
美術家の言葉(カジミール・マレーヴィチ)
http://www.b-sou.com/palw-Malevich.htm
Suprematism(シュプレマティズム)「無対象感覚絶対主義」
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Malevich+Suprematism&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2
P.1
Kazimir Malevich:シュプレマティストの動きの定式(信条、公式)の研究は、如何なる惑星へも直進する動きは一つの衛星から別の衛星へと円周軌道の直線の線を提供する媒介的衛星の周回によってのみ成し遂げられうるという結論に私達を導く。私はそのフォーム(形態)が地球の表面の技術と共通するものはないシュプレマティズムへの私の取り組みの歩みを発見した。すべての技術的な有機体は小さな衛星にほかならなく、全体的な生命世界は今にも空間の中に飛び去ろうとしていて、特別な位置を取ろうとしている。事実、すべてのそのような衛星は実際に理由が備わっていてそれ自身の個々の生命から外れて生きるよう用意されている。惑星のシステムの巨大なスケールにおいて細紛化もまた行われそれら自身の個々の生命を形作る状態の分離は全体のカタストロフィー(突然の大変動)を創り出した。抽象によって、シュプレマティストのフォーム(形態)は実用的な完全性を成し遂げた。それらはもはや地球に直接的に関係していなく、それらは如何なる惑星あるいは完全なシステムの様に扱われ研究されうる。
P.2
Kazimir Malevich:私がそれらが地球と直接的に関係しないと言う時、これはそれを静止したままにしておく離脱の意味(感覚)を意味していない。私は単にシュプレマティストの未来における技術的有機体へのプロトタイプ(原型)の構築を予兆している。それらは純粋な実用的な必要性、それらの間の繋がりを残す必要性によって条件付けられる。実用的な技術のすべての有機体の重要性は同じオブジェクト(もの、客体)と意図を持つ。それは私達がシュプレマティストのキャンバスの上に見ているエリア(領域)へと入り込む機会を探す。事実、そのようなキャンバスは何なのか?それの上に描かれているのは何なのか?もし私達がキャンバスを分析するならば私達は最初にその中にそれを通して私達が生命を識別する窓を見る。シュプレマティストのキャンバスは白い(しかし青ではない)空間の表現である。この理由は明白だ、つまり青は無限の実際的な表現を提供しない。それはまるで視線の矢がドームに当たっても無限に突入できないようなものだ。無限のシュプレマティストの白は視線の矢を境界に出くわすことなく前進させることができる。私達は動くボディー(身体)を知覚するが、それらの動きが何であるかやそれらのネイチャー(本質)は、発見の為の事柄(問題)だ。私がこのシステムを発見したとき、私はそれらの全体的な本質(実在)によって明らかにされ発見されるにちがいない通過しているシェイプ(形)の研究に取りかかり、それらを明らかにすることは沢山の労力を必要としたけれども、それらは全体のものの中で起こった。
→マレーヴィチが言う「感覚」は今で言うとクオリアだろう。脳内で発生するが数量化できない故に近代的思考では無視されてきた「~のような感じ」という実際に存在する「もの」がアートが最終的に保持すべきものであり、それを表現することこそがアートであるということだろう。それは建築(3次元)でも同じことである。(井戸)
クオリア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2