私たちの作品にはしっかりした繰り返しあらわれるエレメントがあるが、数学の極限や定数の様なものである。
建築的極限(形の物質の空間の極限)は建築の作品の実存的カテゴリーとして読まれえるのか?
アーティストもフィルムメーカーもライターもアーキテクトも同じ。
オブジェクトはそれ自身では何も意味をなさない。
それらの物質的プレゼンスはそれ自身では生きない。
自然的(本性的)建築的コンテキストによってスペシフィックな方法で見られ、私たちの知覚のオブジェクトになり、名前を与えられ、「存在」しえるのだ。
伝統は現在もはや存在しない。
我々はむしろ建築における今まで存在しない可能性を新しいマテリアルや新しいツールで行いたい。
伝統的な建築を嫌っているのではない、むしろ愛している。しかし現在生きているこの時代でなすべきことの焦点に気付くべきだ。