Herzog & de Meuron, 1997-2001: The Complete Works 4
Birkhauser

Herzog & de Meuron(ヘルツォーグ・アンド・ド・ムロン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Herzog+%26+de+Meuron&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Herzog & de Meuron)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Herzog+%26+de+Meuron&search=%3F%3F

P.224
Jacques Herzog:ギャラリーの中では私達はこのような様々な二分法で遊び続ける傾向があり、木の床のハードな(しっかりした)フィジカリティー(自然性、物質性、物理性、身体性)によってその時間全体をフレーム化(枠取る、作る、建設する)した。興味深いことに、テート・モダンの完成したギャラリーを満たした多くのアート作品はまたこの矛盾した要素のオーバーラッピング(部分的な重なり)をほのめかす、特にゲイリー・ヒルの1991年からのヴィデオ・インスタレーションである「Between Cinema and a Hard place」。テートの展覧会カタログの中でSophie Howarthによって評されたように、ヒルはヴィデオイメージを言語のメタファー(隠喩)やリズムやイントネーションを探求するために使う。暗くされた部屋の中で23のテレビモニターは、白黒もカラーも両方とも、それらの外の被いをはがされて、ある境界を作る石のように線状に配置されている。スクリーンを横切ってヴィジュアル・シークエンス(視覚的な連続)が、左から右へ動きながら、折り畳んだものを広げ断片化する。最初のうちはそれはまるでイメージが、ハイデガーによるエッセイである「The Nature of Language(言語の自然、本質)」から朗読されている声によって引き起こ(誘発)されているかのように思われる。しかしながら、その作品が続いていくに従って、音とイメージの間の正確な相互関係はだんだん曖昧になっていく。モニターのスイッチが入ったり切れたり、イメージがちらついたりぼんやりしたり。シーン(場面、景色)がスクリーンからスクリーンへと移され、あるいは複数のモニターに渡って引き延ばされる。イメージは家庭的なものとランドスケープ(風景)との間の関係性を探求し、ハイデガーのテキスト(テクスト)の核心である、エモーショナル(感情的)で地理学的な近似(接近、親密)の概念が反映される。いくつかのものは動いている車から撮影され、家、窓、橋、フェンスや標識(空間を規定したりあるいは空間の範囲を定めるフロンティア(境界))を含んでいる。そのタイトルが暗示するように、その作品はまた映画化された空間とリアルな(現実の)空間との間の関係性を問いもする。ハードウェアー(機材)のフィジカルな(自然の、物質の、物理的な、身体の)プレゼンス(存在、現前性)は、ヴィデオのイメージやテレビに映し出されたランドスケープ(風景)をともなった直接(直覚、即時)のギャラリーの情況(環境)の非物質性とよい対照をなす。モニターの間の空間は、そのテキスト(テクスト)に表出されたディスロケーション(転置)のセンス(意味、感覚)を強調しながら、しつこくイメージの流れを断片化する。
私達は、ヒルのインスタレーションのタイトルと解説(記述)は、目下私達の事務所で発展させている他の多くのプロジェクトのデザイン(設計)のため、特にサンフランシスコの北、ナパ・ヴァレーのオークヴィルのクラムリッヒ邸とメディア・コレクション、と同様に私達のテート・プロジェクトのための空間的な(場所の)コンセプト(概念)を理解するための定式のように読む。

→ここではハイデガーが引用されているが、El croquis 152/153のインタヴューでも触れられている通り、Jacques Herzogは、建築は「知覚のインストゥルメント(道具、きっかけとなるもの)」であるとしばしば言っている。これはハイデガーの道具連関の影響だろう。また、Jacques Herzogはよくインタヴューで、「建築にはアンビギュイティー(両義性、曖昧性)が重要だ」と言っていた、それはおそらくメルロー=ポンティの影響だろう。
しかし、Herzog & de Meuronの建築は、2000年前頃まではゲーツ・ギャラリーやドミナス・ワイナリーやテート・モダンなどの様に面白かったが、ここ10年面白くない。ただのデザインの繰り出しや寄せ集めのようになってきていて、通底する思想が感じられないようになってきている。いや、形態操作がポスト構造主義的になっていった彼らに見る側が以前の質を期待しているだけなのかもしれない。(井戸)

Gary Hill(ゲイリー・ヒル)
http://www.google.co.jp/images?hl=ja&q=Gary%20Hill&um=1&ie=UTF-8&source=og&sa=N&tab=wi&biw=1442&bih=844
http://en.wikipedia.org/wiki/Gary_Hill
Tate Modern(テート・モダン)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&source=hp&q=Tate%20Modern&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Martin Heidegger(マルティン・ハイデッガー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Hans-Georg Gadamer(ハンス=ゲオルク・ガダマー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%BC
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC