Gordon Matta-Clark
Eddted By Corinne Diserens
Survey By Thomas Crow
Essays By Judith Russi Kirshner And Christian Kravagna
Phaidon

(Gordon Matta-clark: Works and Collected Writings Gloria Moure Ediciones Poligrafa)

Gordon Matta-Clark(ゴードン・マッタ=クラーク)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Gordon+Matta-Clark&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://en.wikipedia.org/wiki/Gordon_Matta-Clark
YouTube(Gordon Matta-Clark)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Gordon+Matta-Clark&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.168(P.175)
GM-C:彼女(Humphrey Street Building)は夢のように倒れた・・・。全体としての成り行きは、家とは何か、如何に固く建てられているか、如何に容易に動かされるかということへの新しい洞察を私に与えた。それは完全なダンス・パートナーのようだった。すべての想像できうるかぎりのスタイル(様式)を使用したように見えるこれらのヴィクトリア朝風の家のいくつかの様に、複合的な積み重ねにするためにおそらく建物の全体の部分を移動させることを取り扱いながら、私はそれを再びすることを待つことができない。しかし、このことはより好奇心をそそり、折衷主義あるいは「コレクティシズム(収集主義?)」・・・への激しい批評になるだろう。私はまさに続行しているが、私が意味していることはスタティックな(静的な、変化のない)構造の中でのモーション(動き、活動、提議)の実現は気分を浮き立たせたと私は思う。

LB:それは最も複雑なフィジカル(物理的、物質的、身体的)な作業(作用)だったの?

GM-C:いいや、実は違う。全体のプロジェクトの中で最も困難だった部分はその建物を知ることだった。それはその建物を知る為にチェーンソーでそれを切るようだった。いったんその骨の折れるゆっくりとしたプロセスがその表面で実行されれば、他のアイデア(考え)はシンプル(単純)だった。

P.168(P.176)
GM-C:私は意味しているのは、そのピースのよりダイナミック(動的)な側面が実に容易に起こったということである。あなたがそこに居た午後は、そのコーナー(角)が取り除かれたとき、見事にまっすぐ(ごまかしのきかない、明白)だった。おそらくそれは少し格好が悪い(ぎこちない)ように見えたが、それは実際にとてもシンプル(単純)だった。30分間押し広げたり鋸で挽いたりした後、そのコーナー(角)は実に容易に現れた。
私の好奇心をそそる物事の一つは、そのピースをすることの問題から生じるスケール(規模)の変化であり、それは明らかに営為を書き留める瞬間であり、つめを通して切ることと同じくらい、あるいはそのプロセスの中であなたが行き当たることを予期しない何かに行き当たることと同じくらい詳細でありうるものであり、全体としてのプロジェクトの概念であると私は思う。それはそんなにも容易にシンプル(単純)なスケッチに還元されるか、あるいは2,3の覚書に要約される。私はそれはスケール(規模)のアイロニー(皮肉)の一部だと思う。

LB:一つのものともう一つのものの間のコントラスト(対比)。

GM-C:コントラスト(対比)はいくつかの方法の中にある・・・。私はスケール(規模)と同様に時間の点からそれを考える、なぜなら明らかにその出来事への一種の詳細な関心(重要性)があるからだ。私が意味しているのは、それは人々が見る為のパフォーマンスではなく、それは明らかに出来事であり、パフォーマンスの外側にあるアクティヴィティー(活動、営為)の結果であるということだ。それは一種の妙な反対(否定、矛盾)であり、特に孤立したアクティヴィティーがないのでそのようなパフォーマンスへとフィット(適合)しない何かである、だから全体の場所とその(構成)要素はその記録から実行する。その意味(感覚)でそのアクティヴィティーと詳述された時間はそのピース(作品)の一部であることがとても明白であると私は思う。

小休憩

GM-C:パフォーマンスのアイデアに戻ろう。このピース(作品)は明らかに私的なパフォーマンスだった。