El croquis 74/75 frank gehry 1991-1995(合本 El croquis 45+74/75+117)

Frank Gehry(フランク・オーウェン・ゲーリー)
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YouTube (Frank Gehry)
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Alejandro Zaera(←インタヴュアー)
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P.16(P.22)
F.G.:それから、私はこれらの紙の椅子をしたときダンボール紙と同じような経験を持った。製紙会社がそれを見たとき私のところにやってきてみんな興奮したようだったけれども、彼らは本当は興味を持っていなかった。私は彼らは興味を持つだろう、そして何かのスポンサーになるだろうと思った。それは同じようなことだった。つまり彼らは彼らが作ったすべてのものを売ることができた、だから何故煩わしがるのか・・・。

F.G.:これは私をそれらの外の世界について好奇心をそそらさせた。私はこれらのマテリアルのそのまさに存在の文化的否定を悟った。それは世界中で大量に使用されているということだった。もしあなたがいくらかの最も裕福な人々が住んでいるこれらのキャニオン・ロードのいくつかを通るならば、あなたはその道を車で来てすべて柱とアーキトレイブ(台輪)のある白い住宅の前に到達する、そこにはテニスコートがあり、絶対金網フェンスがある。すべての人はその金網フェンスを嫌うけれども、だれもそれを見るものはいない。彼らが見るものはテニスコートであり、テニスコートは冨の象徴である。

P.17(P.23)
F.G.:如何にそこにはそのような大衆の拒絶や、それにそのような大衆の慣習があるのか?否定(反駁、矛盾)は魅力的だった。

A.Z.:それじゃ、あなたは、あなたの周りで起こっていたことの潜在性(可能性)を悟ることができる以前に、あなたの美的モラルのいくらかの種の治療的な宙吊りを通過しなければならなかったんだね・・・。

F.G.:私はそれをより受け入れられるものにしなければならなかった。私はそれを美しくする固有の(本来の、内在する)質を見つけたかった。私は金網で覆われたSanta Monica Place Garageを作った。しかしわたしがそのビルをしたとき、すべての人が怒った。あなたがそれ(金網)を不可避的に使用する限りは、それはOKだったが、あなたがそれ(金網)を意図的に使用した場合は、それは脅威になった。私は私の金網のせいで多くの仕事を拒否された。すべての人は私が金網を置くだろうと考えた。如何に人々がロバにしっぽを置くことにまさに抵抗できないかということは滑稽なことだ。私がLoyola Law Schoolを委託された時、クライアントは言った「私達はあなたの作品を愛している、しかし、私達はいかなる金網も求めていない」と。私は言った「OK、応諾する。私もそれは好きではない」と。私はその建物を設計し、サーフェス(表面)に置かれるべき空調のメカニカル・ステーションがあった。それを保護する為に、彼ら(クライアント)はそれの周りに金網フェンスを置きたがった。そして彼ら(クライアント)は私にそうするように頼んだ、それで私は言った「だめだ。私はあなたに金網を設置しないと約束した」と。私は彼らに彼ら自身でそれ(金網フェンスを設置すること)をさせた。私は彼ら(クライアント)が言っていたことがいかに愚かなことか彼ら(クライアント)にまさに見せたかった。

F.G.:私は法律家である近しい友人を持っている。彼は私の金網を笑ったものだ。2~3年後、彼はヒルズに600万ドルの家を買って、キッチンの問題を抱えていた。彼は私にそれを見に来てくれと頼んだ。私は行くとホワイエ(玄関の広間)からの、キッチンからの、ダイニングルームからの、リビングルームからの、ベッドルームからのそれ(金網)を認識した、彼はテニスコートを見ていた。

P.18(P.24)
F.G.:私は彼に言った「あなたは本当に困っているの?」。彼は言った「何故?」。私は言った「私はあなたを金網に転向させてしまった。あなたは本当は金網を愛しているにちがいない」。彼は言った「何をいっているんだい?」。私は言った「おや、あなたの家のすべての部屋からは金網フェンスが見えるじゃないか」と。彼は本当に頭の切れる男で私を見て言った「それはテニスコートだ」と。彼はまだそれを理解していない。

A.Z.:あなたの作品の本当に特有の質は斜めの幾何学とばらばらにされたヴォリュームの実験である。重力と首尾一貫性は、前進する為にあなたが受けた慣習的な教育を拒否しければならないものの別の一つですか?

F.G.:私はフィリップ・ジョンソンにシンプリシティー(単純性、単一性)へ戻るよう確信させた。彼は私に他の日に電話をかけてきて、彼は真っすぐな線に戻ると私に話した。彼はそれが新しいことだと断言する。それは一種の再度の揺り返しのようだ・・・。それは流行の中で、流行から外れて進行していく。ビルバオ・グッゲンハイム美術館とLewis Houseの後、まるで私がそのリサーチの限界に達したかのように感じ、私は再びミニマリズムに挑戦しようかなと考えた。私はまだミニマリズムが好きだ、例えあなたがそれを信じようと信じまいと。

→フランク・O・ゲーリーの初期の作品は非常にミニマルな作風である。(井戸)

Philip Johnson(フィリップ・ジョンソン)
http://en.wikipedia.org/wiki/Philip_Johnson