Dan Graham
Contemporary Artists Series
Phaidon

Dan Graham(ダン・グレアム)
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http://en.wikipedia.org/wiki/Dan_Graham
You Tube(Dan Graham)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Dan+Graham&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.20
M.F.:あなたが内部と外部について話すとき、あなたはまさにフィジカル(物質的、物理的、身体的)な感覚ではなく、同じくパブリックとプライヴェートの感覚を意味している。例えば、あなたの初期の作品は、ギャラリー空間の中に持ち込む標準的なプライヴェートな行動は何かということを提起していて、そしてあなたは、フィジカルに(物理的に、物質的に、身体的に)も象徴的にも、透明性についてのモダニストのアイデア(近代的思考)を利用しながら、パブリックなそしてプライヴェートな圏域を確保した。

P.21
D.G.:ツーウェイミラー(マジックミラー)ガラスがオフィスの建物に使用されるとき、それはいつも外部の人々にとっては鏡であり、内部の人々にとっては透明である。それは監視の状況であり、ミースによってデザイン(設計)されたガラスのタワーの「ショールーム」の中であるのに、人々は1階の部分しか見なく、そこはプロダクション(制作物)を示さなかった、なぜならアイデア(思考)はプロダクション(制作物)を示すためではなかったからだ。まさに頂部では、エグゼクティブ(重役の)・スイートと(重役の)会議室から、あなたは町を見下ろし見渡すことができた。私はそれを確保しようとしている。私のパヴィリオンはいつも一種のツーウェイミラーであり、それは同時に透明でもあり反射的でもあり、それは太陽光の変化とともに変化する。これは変化するランドスケープと関係しているが、しかしそれはまた内部の人々と外部の人々が、お互いが他方とマテリアルを見つめるとき、お互いの眺めを重ね合わせることをも意味している。それは間主観的(相互主観的)である。

M.F.:一般的に、あなたのパビリオンは、ギャラリーの為よりも、形成されたランドスケープの状況、都市の公園あるいは町の公園の為に作られてきた。あなたはこれらの作品が多くのアーティスト達が苦闘してきた制度(慣例)としての美術館の問題に応答していると言えますか?

D.G.:全体主義の建築の構造として美術館に反抗しようとしているアートは私に興味を抱かせない。私に興味を抱かせるものはおそらくルネッサンスの時代の公園にあった最初の美術館であり、それはある一つの感覚では、ウォーター・トリック(錯覚)や教育のパズルやアレゴリー(寓意物語、象徴)のあるディズニーランドの様であり、それらは、後のイギリス庭園の様に、それらの参照の中の文学だった。勿論、これはプライヴェートな貴族的な領域だった。私がツーウェイミラーの状況を使う場所で、「Two-way Mirror Hedge Labyrinth(1989-93)でのツーウェイミラーは町の中心の象徴であり、そのパビリオンは、あるいは言ってみればその迷宮の状況は、町の迷宮の象徴である。
自然の中の一種のパビリオンとしての原始の小屋あるいは森の中の設置のアイデア(考え)は、ユートピア的な道程の中では、町の中のブルジョア(中産階級)の社会の略奪(破壊)を否定する。19世紀にはびっくりハウス、bazebo(テントを張って仕切った所)、音楽パビリオン、のような状況でパビリオンの伝統もあり、あるいはドイツではそれらは「Lust(欲望)」あるいは「pleasure(喜び)」パビリオンと呼ばれた。しかし、これは大衆的なアイデア(考え)だった。そのフォリーはおそらくまだ貴族的だった。