Constant’s New Babylon
The Hyper-Architecture of Desire
Mark Wigley
010 Publishers

Constant Nieuwenhuys(コンスタン・ニウヴェンホイス)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Constant+Nieuwenhuys&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
http://en.wikipedia.org/wiki/Constant_Nieuwenhuys
New Babylon(ニュー・バビロン)
http://www.digischool.nl/ckv1/studiew/destad/constant/babylon.htm
http://fr.wikipedia.org/wiki/New_Babylon

P.74
Constant Nieuwenhuys:絵画の中ではおなじみの色の可塑性(立体性)の概念でさえも空間の中の新しい意味を獲得する。色の空間的な概念は集中されたコンポジション(構成)に終止符を打つばかりでなく色の効果の「同時性」にもまた終止符を打つ、つまり色の可塑性(立体性)の経験は時間の中で起こる。
その上、「スケール」や、人間のディメンション(寸法、次元、規模)に対する色の比率(割合)は、絵画の閉ざされた特徴が私達の周りの空間によって置き換えられた時決定的に重要になる。

Constant Nieuwenhuys:空間的な概念や色の中の空間の実現としての空間的色主義の発展は、画家と建築家の間の近い接触を要求する。
なおその上、注意深く境界(限界)を定められた彼ら自身の分野の中での専門家を意味するよりも、彼らが共通のゴールへの従事の中で「チーム」として一緒に作業するべきであるということは重要だ。
このゴールはバロックの様に、建築と絵画の混合(融合)ではなくて、その両方の限界を超え、色と空間がどちらか一方がなければ想像も及ばないような3次元の現実の高尚なオーダー(秩序)である。
空間的色主義は理論ではなく実践である。

P.75
コラボレーションから造形芸術の中の絶対的な統一へ
[オリジナルはオランダ語、「Van samenwerking naar absolute eenheid van de plastische kunsten」Form,vol.10,no.6 1955年(7-8月号)P.207、Robyn de Jong-Dalzielによって翻訳された]

Constant Nieuwenhuys:建築と視覚芸術両方に要求するものが、なにがしかの利益になるためにこのコラボレーションへのオーダー(秩序)の中で満足させなければならないことを私達が知らない限り、コラボレーションについて話すことはむだである。視覚芸術界単独の中では、ある単一の明白な概念によって視覚芸術について話すことは不可能であるという架橋できない違いが既に存在している。
空間の概念がこれまで享受してきたものより直接的な重要性を獲得するその(視覚芸術の)発展の中のあるポイントに視覚芸術が到達したとき、建築との混合(融合)のアイデア(考え)が現われる。たとえそうでも、デ・スティルのためのものでないそれを持ったコラボレーションへの疑問はおそらくなかった。デ・スティルは視覚芸術と建築の中の個人主義に抵抗した。個人主義、それはぼんやりとした「表現」のための形成の(可塑性の)形態の衰退の責任を保持された。この個人主義の「geltungsdrang(正当性・妥当性が徹底される・見通されること)」、この表現主義はかつても今もまだ中止されるべきである。建築においては表現主義の反対者達は機械化の経済的優位性の中に直接的な支えを見つけ、部分的にはこのために、高価な表現主義はそこでは短命だった。しかし最初の起動力を提供する視覚芸術では、状況はむしろ違っている。

De Stijl(デ・スティル)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=De%20Stijl&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

Constant Nieuwenhuys:現在、表現主義(抽象と比喩(表象))は攻撃(キャンペーン)の上にあり、実に逆説的なことに、建築の中にいくらかの支えを見つけている、つまり哲学者(思想家)でない気迷いする人々はこの視覚芸術との不自然な結合からコラボレーションの口実の下建築を窒息させる現象を十分に保持する。今日の建築は、この芸術的な煙に巻くような言葉の荒い活力(蒸気)に面した時劣る複合体によって悩まされない可塑性(立体感)に関して明らかにまだあまりにも力を失っている。救いは勿論、このフォーム(形態、形式)の中ではなく、視覚芸術からやってこなければならない。建築と他の造形芸術の間のコラボレーションへのただ一つの可能な道があり、それは機械化や、希薄化(実質的価値の低下)から建築をあらかじめ保護する同様の機械化によって表示される(合図される)。