El croquis 68/69(El croquis 68/69+95)

P.14(P.14)
A.S.:私はこの一見明瞭に見えるプログラム的な不明瞭さは構造のフレキシビリティーへの興味により負っていると言ってきた。一見明瞭に見える非特質化は機能の深い研究無しにつくりだせない。・・・
使用とは建設のある集中を通して普遍化される。・・・
建築の歴史の中で暗闇の時期(部分的には豊饒ではあるが)がある。それは人間工学の研究の時期であり、それはある時期、バイブルのようになっていた。私はこのような形態と機能のラディカルな同一視は異常な制限であると信じている。なぜならそれは人を世界の中心に据えるからだ。

P.15(P.15)
A.S.:バチカンを見たまえ。テラスの手摺は2メートルの高さがある。それらは人間のサイズによらず、建物の全ての要素のコントラストによっていて、それらは違った次元のロジックを巻き込んでいる。形態と機能は私達がローカルと普遍性との間を分析しているように、複雑で相対的な関係を持っている。それらは直線的で必然的な関係の中で分析されえない。
私はいつも新しい家より古い家の方が良く感じる。私は理由を探し始め利用できるスペースが沢山あるというような理由の他に次のような結論に至った。それは(新しい家の)不快の理由は形態と機能の同一性の直線性である。おそらく批評的な説明の別の言い回しがあるだろう。しかし私は意識的に私の作品(仕事)の中に他のものよりも間違いの訂正が沢山あることを信じている。おそらく私の作品(仕事)のいくつかの段階で形をつくることに対する価値への過度な集中がある。後の段階で私は私のパーソナリティーとプロダクトの間にある距離をとることによって、これを修正しようと努める。これは最近のプロジェクトの方が最初のものよりよいということを意味していない。それはプロセスの全てが私個人のものではないということだ。私はこの感覚で努力する。なぜならそれは私にとって知的に重要であり、利他的な理由ではない。