Richard Serra:Writings Interviews
The University of Chicago Press
Chicago and London

Richard Serra(リチャード・セラ)
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YouTube(Richard Serra)
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美術家の言葉(リチャード・セラ)
http://www.b-sou.com/palw-Serra.htm

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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YouTube(Peter Eisenman)
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P.143
RS:ロバート・ヴェンチューリのワシントンD.C.のフェデラルトライアングル(官庁街の一角)の為のパイロン(鉄塔)は十分にシンボリックではないため非難され、彼は各々のパイロン(鉄塔)の頂部にアメリカの国旗を付けに次の日に戻ってきた。これが私が話している一種の自己正当化の実用的な妥協だ。

PE:あなたのHouse of Cardsプロジェクト(1969年)は彫刻の中の内面化(主観化、内向)された必然(因果関係、必要)のひとつの例であり、それにもかかわらずそれは隠喩的なほのめかしを作り出す、何かとてもこわれやすいものや、殆ど自己批判的な何かに対して、とあなたはかつて言いましたよね。その「house of cards」のフレーズは伝統的にネガティヴな(否定の)考えを暗示するために使われた。私の初めてのプロジェクトはまさにそれらが自己批判的だったから「houses of cards」と呼ばれた。自己批評的な考えはあなたにとっては意図的なものなのか?

RS:いいや。そのピースのタイトルはOne-Ton Prop(1トンの立て掛け)だ。私は括弧書きで「House of Card」を書いた。その当時の私の作品の中では、私は壁に対して先駆けとなる要素を立て掛けていた(支柱を施していた)。たとえこのような壁の立て掛けでさえも、「how(如何に)」は「what(何を)」を明確にしていることを理解することは容易だった。

P.144
RS:しかしこれらのピースはまだその壁の絵の平面と関係していた。私が点の荷重と圧縮の同じ原理を使って自立した作品を建てようと決心したとき、私は空間を明確にし、空間を掴みたかった。

PE:その時、その「空間」が、それは壁ではなく、含意された枠組み、ネガティブな(否定の)実体(物質)になる。枠組みはたいていソリッドな(中まで同一物質の)ものとして考えられる、しかしそれはヴォイドに成り得た。

RS:私は空間が枠組みであると言いたいのではない。枠組みはこれまで決してなかった。枠組みと台座は古い問題に対する古い解答だ。

PE:House of Cardsでは、一般的に「プロセス」アートとして知られているものの中で行われているように、そのオブジェクトにあるプロセスを表現させる(代理させる)ことに反対して、「プロセス」の中でそのオブジェクトを提示することはあなたの意図だったのか?

RS:言ったように、私は「what(何を)」を明確にする「how(如何に)」に興味があった。私は創造するプロセスの神秘化は信じていない。私はちょうどすぐにその作品にコンテント(要素、内容)の一部として誰かの観察の利用に関わらせたかった。けれどもそれがコンテント(要素、内容)というわけではないが、私の作品のそういった様相を扱いたい誰かには認識されるものだろう。

PE:プロセスの中のオブジェクトの考えはその意図の一部ではなかったのか?

RS:私はこれらの作品を「プロセスの中のオブジェクト」とは呼ばない、なぜなら私は作品それら自身をパフォーミング(演じるもの)として考えないからだ。