El croquis AMOMA REM KOOLHAAS 134/135

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Beatriz Colomina(ビアトリス・コロミーナ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Beatriz_Colomina

P.366
Beatriz Colomina:あなたの次の本は保存についてのものになるだろうと思う。「錯乱のニューヨーク」はマニフェスト(宣言書)であるが、しかしそれはまた最後にプロジェクトを伴った本でもある。

Rem Koolhaas:私はそれについてはとても不愉快だ。

Beatriz Colomina:なんですって?何故ならそれは長い伝統に従っているから。もしあなたが「Vers une architecture(建築をめざして)」について考えるなら、ル・コルビュジエは彼自身のプロジェクトの幾つかを最後に載せている。彼は1923年にはその本と矛盾していなかったものをそんなにしてはいなかったが、僅かばかりあったものがその中に入れられた。

P.367
Beatriz Colomina:そしてたった1年後の、第2版では、おそらく彼が言うことから結果として生じたプロジェクトが初版の「深い結果(効果)」であったと彼は付け加える。

Rem Koolhaas:まさに。それは以前から来たものや、突然プロパガンダ(宣伝)として正体をあらわされたものを減少させる。改版の為に私はそれらを取り除きたかった。

Beatriz Colomina:「ラスベガスから学ぶこと」の様に?第2版で彼らはプロジェクトを取り除く。

Rem Koolhaas:そしてそれがより良いとあなたは思わないのですか?

Beatriz Colomina:それはおそらくより良いかもしれないが、私はまた建築家達が長い間これをしてきたという事実にも興味がある。これらの本の伝統がある。だからあなたの本の進化するタイポロジー(類型学)に関して、私はまた建築家の本のより広い歴史について考えている。例えば、「SMLXL」はモノグラフ(小研究論文)の伝統の一部ですか?

Rem Koolhaas:そう、それはモノグラフ(小論文研究)だが、裏では私はそれを小説と呼び、だからそれはまた一種の本当にジャンルの自由を掴むことや執筆の異なったタイプを採り入れることでもある。

Beatriz Colomina:また辞書もあり、幾らか日記のフォーム(形式)もあり、幾らか個人的な歴史もあり・・・。「Content(内容、意味)」についてはどうですか?

Rem Koolhaas:私はそれをパンフレット(小冊子)と呼ぶだろう・・・。それが如何に考えられたかということだ。

Beatriz Colomina:最初私はそれはジャーナル(雑誌)でこれは創刊号だと思っていた。

Rem Koolhaas:それは潜在的なシナリオだ。それはまだ起こり得る。

Beatriz Colomina:しかしそれでは、そのコンセプトが変わったことを除けば、私はそれが「SMLXL」の継続として提示されたと理解した。

Rem Koolhaas:あなたはそれが好きですか、あるいは嫌いですか?

Beatriz Colomina:私はそれが好きだったし、それにウンザリもさせられた、生産的な(豊富な)方法の中で。

Rem Koolhaas:「SMLXL」の後の本を作る為に、私達は私達自身の成し遂げたものをこわす(乗り越える)必要があり、同じくらい良い何かをしようとすることは完全に不可能だった、だから私達は同じぐらい悪い何かをする必要があった。

Beatriz Colomina:まさに、もしあなたが望めば、それはより論争的でmore in your face(?)。Faster probably.(?)Domus D’autreの「Post-Occupancy 」について何か言ってもらえませんか?それはチャートの為にDanielとUrtziが注目した本の一つだった。私達はこれらの4つの本、「錯乱のニューヨーク」、「SMLXL」、「Content(内容、意味)」、「Post-Occupancy(占拠後)」にハイライトしてきた。あなたはこれらの4つの本が最も重要であることに同意しますか?

Rem Koolhaas:それはあなたの選択だ・・・。

P.368
Beatriz Colomina:違った言い方をしましょう。もしあなたがもう一つそのリストに付け加えなければならなかったとしたら、それはどれですか?

Rem Koolhaas:おそらくMoMAの本だ。

Beatriz Colomina:MoMA?しかしMoMAはプライベート(非公開)だ。

Rem Koolhaas:彼らはただ「パブリックな」本に関心があるだけなのか?

Beatriz Colomina:いいえ、彼らはすべてをマッピング(地図化)している。しかし彼らは最も重要なものとしてこれらの4つの本を選び出した。これらの本はどのように作り上げられたのですか?「SMLXL」は明らかにスケール(規模)によって作り上げられた・・・。

Rem Koolhaas:「錯乱のニューヨーク」はブロック(塊り、街区)で作り上げられた。

Beatriz Colomina:別の出版物と都市の関係。

Rem Koolhaas:「Content(内容、意味)」は西から東へ作り上げられた。だからそれはとても明白だ。そして「Domus D’autre」はある意味ではインターネットの様だと、私は思う。

→「錯乱のニューヨーク」は、フーコーの「知の考古学」やドゥルーズ=ガタリの「アンチ・オイディプス」の影響を受けながら、5年間の図書館通いとポストカード集め(ポストカードの考古学)の後に書かれた、都市と建築におけるポスト構造主義のマニフェストである。「形態は機能に従う」というモダニズムの信仰は、(今でもパブリックに信仰されているのだが)摩天楼ではエレベーターの出現により、集団的無意識の欲望機械の作動により、現実世界では陳腐化している状況を示す。それがリアルな世界であるということ。その後コールハースが実現していく建築は、デリダの影響を受け、既存のルールを過剰作動(オーバーラン)させたり、ずらして重ねたり、反転させたり、ディスロケーション(転地)したりする脱構築的操作子を使い「当り前のこと」の不在を現象させ、人間中心主義(ヒューマニズム)の透明な権力を暴いていく。(井戸)

Le Corbusier(ル・コルビュジエ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%93%E3%83%A5%E3%82%B8%E3%82%A8
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB