El croquis 52(El croquis 52+73+103)
You Tube(Zaha Hadid)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Zaha+Hadid&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Zaha Hadid(ザハ・ハディド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Zaha+Hadid&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5&gbv=1
P.11(P.21)
RL&FMC:大きなドローイングの精密なプロセスについてもっと知りたいんだが。
ZH:私はそれらをとても小さくスケッチし誰もそれらを理解できない。それから私は毎日これらのドローイングが私の望んでいるようになるようにスタッフに話す。まるで一種の説教の儀式のように。
そのまさに大きなドローイングは完成するのに長い時間を要する。なぜならそれは一つのドローイングではなく、一つのパースペクティブでもなく、それは3つか4つのドローイングが一緒になって、ストーリーを持つからだ。
P.12(P.21)
RL&FMC:あなたはかつて自分の衣服をデザインしましたね。まだしているのですか?
ZH:私は衣服をデザインしたのではない。私はファブリック(織物)で自分自身を包んだんだ。
私は決してそれがこう着られるだろうと目論まれているようには着ない。
何年も私は安全ピンとともに歩き回った。私自身で取り外すことはとても難しかった。それらを構築するのに1時間要した。私の2人の生徒は私の服が如何に安全ピンでとめられているかという技術的研究をしたがった。
P.13(P.22)
RL&FMC:あなたはマレーヴィチ・テクトニックについて話しましたね。あなたの作品へのシュプレマチストとコンストラクティビストの影響を拡大できていますか?
ZH:その影響は本当にモダニストのマニフェスト(声明書)であり、モダニストのアジェンダ(実践すべき義務)であり、このモダニズムの意図は使い尽くされることはない。
Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
http://images.google.co.jp/images?gbv=1&svnum=10&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Kazimir+Malevich&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
Suprematism(シュプレマティズム、(感覚)絶対主義)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Suprematism&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%9E%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%A0
Constructivism(ロシア構成主義)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Constructivism&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E6%A7%8B%E6%88%90%E4%B8%BB%E7%BE%A9
→カジミール・マレーヴィチの「無対象の世界」訳:五十殿利治 中央公論美術出版のP.66~P.100のシュプレマティズムを読んでみると、シュプレマティズムとは造形芸術における純粋な感覚の絶対性で、つまりそれが芸術の本当の価値であり、如何なる表象や形式や意味を排除した単なる感覚絶対主義のことらしい。白い地の上の四角や丸はそれ自体、絵画の形式や表象とは無関係にただ感覚だということらしい。これはマレーヴィチのシュプレマティズム絵画の副題に(飛行感覚)、(金属音の感覚ーダイナミックに)(淡いー金属的な彩色)、(流体の感覚、電信)、(消滅の感覚)、(磁力の感覚)、(運動と抵抗の感覚)、(複合の感覚ー十字形と正方形)、(宇宙の感覚)、(宇宙からのある神秘的な「波動」の感覚)、(無対象の感覚)とあるように白地の上の黒いオブジェクトの配置や大きさや形態や濃淡によってマレーヴィチが真の芸術的価値というところの感覚のみが示される。そしてこれが空間的にオブジェクトの配置や形や濃淡(照明の効果)によって表される動線的、流体的、コンポジション的感覚がザハが展開していることだろう。ザハのような建築に対してよくある「ただあんな形がしたいだけだ。」という表面的な批判に対して言えば、実生活の実用性ばかりでなく「制度」批判(提示)や「形式」批判(提示)への実用性もまたマレーヴィチに言わせれば真の芸術性ではなく、まさしくただあんな形があることによって起こるある純粋な感覚が真の芸術性だということだろう。(井戸)
P.66
マレーヴィチ:砂漠の外に、いかなる「現実の似姿」も、またいかなる観念の表象も存在しないのだ!だが、この砂漠はすべてに浸透する無対象の感覚の精神によって満たされている。
P.72
マレーヴィチ:感覚こそつねに、またどこにおいても、あらゆる造形の唯一無二の源であるからだ。
P.74
マレーヴィチ:白い地の上の黒い正方形は無対象の感覚の最初の表現形式であった。正方形とは感覚、そして白い地とはその感覚の外側にある「無」である。