The Conversation Series 8
Zaha Hadid
Hans Ulrich Obrist
Verlag der Buchhandlung Walther Konig Koln
Zaha Hadid(ザハ・ハディド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Zaha+Hadid&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5&gbv=1
You Tube(Zaha Hadid)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Zaha+Hadid&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Hans Ulrich Obrist (ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Ulrich_Obrist
You Tube(Hans Ulrich Obrist)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Hans+Ulrich+Obrist&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Serpentine Gallery(サーペンタイン・ギャラリー)
http://www.serpentinegallery.org/
P.87
Zaha Hadid:私達はまた、それは島である、ドゥバイのオペラハウスをしていることを想定している。私達はまだそれについてわからない。私はベイルートのダウンタウンでも仕事をしているが、私は今そこでの状況とともに考えると、それは本当に彼らの問題の最小のものである。
P.88
Hans Ulrich Obrist:このプロジェクトについて私達にもっと話してもらえませんか?それはベイルートの一部のための都市のスキーム(計画)だったのですか?
Zaha Hadid:いいえ、それは都市計画ではない。一つは銀行の本部であり、もう一つはAUB(ベイルートのアメリカ大学)のキャンパスで、そこは私が昔学んだところである。彼らは私を侮辱することを意味しているとは思わないが、ベイルートはベルリンではないために、本当にその都市に相応しくはない、外辺部のブロックのアイデアを彼らは適合させた。千のブロックの代わりに彼らは5つのブロックを作った、だからスケール(規模)は不思議(変、すばらしい)だ。私は彼らはアトランタの様なアメリカのダウンタウンをしたいと望むことから始め、その後彼らはベルリンにシフト(変化)したのだと思う。それをすることによって、たとえその都市がよりレイヤー化(層状化)されているとはいえ、彼らはベイルートをタブラ・ラサ(白紙状態)に、一つのフラットな平面にした。そして彼らは都市の再生を扱う複雑さと異なった方法についての共通の対話を持たなかった。
Rem Koolhaas:もしあなたのキャリアを私が見るならば、最初の段階があり、そこではあなた自身の署名が、あなた自身の作品が、あなた自身の手が、あなた自身の突進が、すべての単独のプロジェクトに対して、信じられないほど創造的で、発明的で、決定的である。もしあなたがそのファーム(一団)を今見て、如何にそれはそれ自身を提示するのかをも見るのであれば、それはデジタルの制作物に捧げられたものであり、うわさによれば、比較的少数の人々による巨大なプロジェクトへの取り組みによって畏敬の念を起こさせるほど有効であるとあなたは見ることができる。私が知る本当に少数の人々は一種のハイパーモダン(超現代、超近代)と現代の組織化に対してほとんどミニアチュリスト(細密画家)であることからこの移行(変化)を作り出すことに成功してきた。それはそれが現われているようにシームレス(継ぎ目のない、一体となった)ものなのか?あるいはあなたは何かを失ったのか、もしそうであれば、何をあなたは失い、何をあなたは得たのか?
P.89
Zaha Hadid:私は本当に長い間デジタル化に抵抗していた。魅惑的な物事は3次元的な取り組みをともなっているもので、コンピューティング(コンピューター計算)がほとんど私達が取り組む方法を模倣したのでそれはとても複雑ではなくなった。だからそれは興味深い移行(変化)だった。今ではそれはより複雑ではなく、より透明でなく、より不透明で、言ってしまえば、リアルだ。グラフィカルなプレゼンテーションで為された作品は元々はより複雑でより予期できない(意外性のある)ものだったと私はまだ考えている。他方で、私達が10人だったとき、私達は3つのシフト(交替)で働いていたから、30の仕事をしていた。だから今では、私達は150人で450の仕事をしている。それはとても興味深く、それは人々が極端にハードに働くからではなくて、私が最初の方で言った様に、誰も私達に注意を払わない芝生のボウリングレーンに私達が監禁された年月の間に、私達みんなが莫大な量のリサーチ(調査研究)をし、このことが私達に物事を再発明し取り組む偉大な能力を与えた。