Hans Ulrich Obrist & Yona Friedman
The Conversation Series 7

Yona Friedman(ヨナ・フリードマン)
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You Tube(Yona Friedman)
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Hans Ulrich Obrist(ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
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You Tube(Hans Ulrich Obrist)
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P.8
Yona Friedman:粒子物理学あるいは社会学においてでも、どんな個も理論的な法則に従って振る舞わない。それを「個的特性の原則」と呼ぶ。この原則はある一つの個が他のものの代理となりえず、全く同じだと見なされ得る二つの事はないということを前提としている。勿論、これは法則である。だからあなたは私が矛盾していると言うかも知れないが、違いは、他の法則に対比して個的特性の原則は結果として起こるであろうものを説明できないということである。

→「意図的な建築」に対する、アイゼンマンの「恣意性(任意性)」の導入を思い出す。またフィクション(虚構)であるファンクション(機能)をアイロニカル(皮肉)に極度に配置して、慣例的には恣意的(任意的)とされる斜めの線にフィクションであるファンクションの説明を二重にアイロニカルに与えるコールハースを思い出す。意味的(本質的)な脱構築か?(井戸)

Hans Ulrich Obrist:複雑さの為ですか?

Yona Friedman:その観察は複雑性の概念をずっと越えたものだ。私はむしろそれを「複雑にされた(もの、こと)」と呼ぶ方を好む。なぜならセット(一組)の最大の複雑性は、そのセット(一組)の期間(ことば、関係)の間の沢山の可能性のある関係によって制限されるからである。「最大の複雑化」が関係しているかぎり、それは無限になる。「複雑にされたもの」であるそれは不確定の数の恣意的な(任意の)規則を適用することによって成し遂げられ得る。これを視覚化する為に、まさに線(設計図)を取る。その複雑性は最小限である。しかしながら、私は私が欲するまでそれをねじる(ゆがめる)ことができ、そうすることによって、私はその複雑化を増すが、その複雑性は増さない。

Hans Ulrich Obrist:ブタペストを離れてイスラエルに行った後、あなたは建設作業者として始めましたが、同時にあなたは、可動の(順応性のある)個人参加型の建築の考えを導いたすべての種の分野(特にそれは工学技術であり、社会学であり、科学である)の中で要素を掘り起こしながら、本当にいくつもの学問分野にまたがる方法であなたの理論を発展させた。あなたは1956年のドゥブロヴニクでのCIAM(Congres International d’Architecture Moderne)でこれらの考えを提出しました。あなたはどのようにしてこの建築のいくつもの学問分野にまたがる理論を磨き上げたのか言ってもらえませんか?

Yona Friedman:おそらく私はそんなに規則的ではないが、本質的に私は原則とは正しいとされていない独占よりも他の何かを誘発するとは信じていない。私は単順にこのイメージの要素の間のバリアー(境界)を創り出すことなしに、自分自身にその世界のイメージを投影する普通の人間である。しかし私は私のその世界のイメージを具体化(外面化、客観化)し表現する価値を持っている。私はあえて科学の学位免状を持たずに科学について話す。私は社会学として建築について話し、コミュニケーションとして社会学について話す。

P.10
Yona Friedman:私は科学と社会学の中にある同じ論理に基づいた理論を打ち立てようとしてきた。「個的特性の原則」「可動の(順応的な)建築」「都市のメカニズム(機構)」「集団批評」はみんな同じ論理の表現として観察されうる。