Thomas Ruff
Skira
Thomas Ruff(トーマス・ルフ)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&source=hp&q=Thomas%20Ruff&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://artphoto-site.com/story93.html
P.58
Isabelle Graw:何故あなたは、あなたの「Hauser」の写真の2つをパソコンで写真の画質を向上させ、レタッチ(写真修正)したのか?
Thomas Ruff:フォーム(形態、形式)とコンテント(内容、意味)両方と関係している理由のためだ。例えば、その住宅の前にはそのイメージ(画像)をぶち壊す1本の木があり、開いたスカイライト(天空光)があり、私が接近したとき、道路標識があったし、私は主な建物をよりもっと目立たせるために直前の建物から2階分を「切り取ら」なければならなかった。その介入は私により良くよりクリーン(きれい)な写真を撮ることを可能にした。
Isabelle Graw:美的な目的(意図)だけのために「パソコンで写真の画質を向上させる」技術を使うのですか?
Thomas Ruff:その建物は「クリティカル(批評的)な」状態にある。劣化の状態の中で住宅を撮影することによって、私はまた1970年代の建築のユートピア的なアイデア(考え、観念、イデア)が失墜してしまったこともまたデモンストレート(はっきりと表示)している。しかし私は何か特定のコンテント(内容、意味)をコミュニケート(伝達)しようと思わない。私は「shoot(写真を撮る)」したい、「photograph(写真を撮る)」したい。私は少しもソシアル(社会的、社会奉仕的)な写真に興味がないし、私は、写真はそれらの建物に対する私の個人的な意見をコミュニケート(伝達)するべきであるとは思わない。つまりそれらの建物はそれら自身の為に話す。
Isabelle Graw:それにもかかわらず、あなたの写真にはドキュメンタリー(記録資料)の側面がある。あなたはあなたのモデル(対象)に彼ら自身を表現(表象)するチャンス(偶然、可能性、機会、冒険)を与えている。つまり彼らは背景の色や、彼らの服や、彼らの髪型を選ぶことができる。結果は「制限をともなったセルフ-ポートレートであり、ポートレートの中の人物の自己-(再)提示のドキュメント(記録資料)である。
Thomas Ruff:あなたはこれらのことばの中でそれをまた見ることができるだろう。もし私がモデル(対象)に彼らの服あるいは髪型を選ばせているとすれば、それは実際、私自身の欠点(短所)とより関係している…、私は人に彼らの髪をどのような髪型にするべきか、彼らがグリーンのジャケットを着るべきか、あるいは、背景はイエローにするべきかをあえて話さない。だから私はモデル(対象)に決めさせている。
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Umberto Eco(ウンベルト・エーコ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%82%B3
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Jacques Lacan(ジャック・ラカン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7