Richard Serra:Writings Interviews
→OMA/コールハースの「シアトル公立図書館」が、ジュシュー図書館案の「斜床のループ」を実現したばかりでなくコンスタンの「ニューバビロン」の現実の建築化であるのは明らかであるが、アイゼンマンの「ベルリンのホロコーストメモリアル」が、地形学的幾何学ばかりでなく、リチャード・セラの初期の作品の影響を感じさせるのもまた明らかだと思っていたら、二人のインタビューがあった。(井戸)
Holocaust Memorial Berlin
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Holocaust+Memorial+Berlin&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
P.141
ピーター・アイゼンマンによるリチャード・セラへのインタビュー
Perspecta 19 (1982年)by Richard Serra
私はそれらの歴史的機能や意味によって空洞化され、過去に成し遂げられたものを称賛する事によって彼らの美的生産物を合法化する必要のある建築家や芸術家によって持上げられている芸術史上の永久のモニュメントの理想化には興味がない。彼らの「適切な歴史的解決」はキッチュな折衷主義以外のなにものでもない。
歴史的なイメージやイコンやシンボルは幻想の意図、時間がよりよくより意味があった古きよき時代へのノスタルジックな切望に基づいている。
→前提として、1980年頃といえば、建築では狭義(流行)の「ポストモダン」の時代の言葉。かつて本人の意向とは別に「デコン」とカテゴライズされていた建築が今や現実化しているが、極東の日出ずる国ではかつて震災があったとき「デコンは終わった」というナニガシがいて取り巻きらもこれに続いた。極東の日出ずる国は良くも悪くも離島の村社会である。(井戸)