Thinking Architecture

P.83
現実の魔法(魅力)

P.84
私が広場の雰囲気についてこれらのコメントを書いていたとき、私は私が見た全てに完全に魅了されていた。
今私の注意を再読し、何が私の心を動かすのか考えてみた。
全てだ!全て 物事、人々、空気の質、光、騒音、音、色。テクスチャーや形ばかりでなく物質の現前性だ。私が理解できる形式、私が読もうとすることができる構成。美しさとして私をうつ形相。
しかし、物質的なマテリアル、物事、人々から離れて考えても、私に触れる何か他のもの、私がそこで見たり聞いたりしているときの私自身や私の気分や感情や期待と関係している何かがある。
「美しさは凝視の眼差しの中にある。」書いているときにこの一節が心に浮かんだ。その一節は、そのとき(洗足木曜日に教会の広場のロッジアに腰掛けていたとき)に私が経験した全てのことが、第一にその瞬間に私に起こった心の状態や気分のあらわれや流出だったということを意味しているのだろうか?結局経験とは広場やその雰囲気とは殆ど関係ないのだろうか?
この問いに答えるために、私は簡単な実験を試みた。私は心の中でこの広場を心の中からしめだした、その瞬間奇妙な事が起こった。状況によって喚起される感情がしぼみ、さらには消失されようとしたのである。

P.85
広場の雰囲気無しでは、私はこのような感情を経験しなかったと理解したのである。今その感情が私に戻ってきた。私達の感情と私達の廻りの物事との間には親密な関係がある。その考えが私の建築家としての仕事と関係している。