Peter Eisenman
Written Into The Void
Selected writings
1990-2004

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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YouYube(Peter Eisenman)
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P.115
Peter Eisenman:建築のナチュラル(自然的、本来的)で自律的でさえある効果になるために、コーナー(角)の解決はただ、プレゼンス(存在、現前性)の形而上学と呼ばれる何かの操作によってその様になると思われ、それは建築に必要でナチュラル(自然的、本質的)両方になるべきコーナー(角)を前提とする(含意する)。いったん形而上学が問われれば、コーナー(角)の建築的解決のようなことは必ずしも単純化(削減)できないあるいは自律的な効果ではない。例えばバックミンスター・フラーのドームやグレック・リンのぶよっとした塊においてコーナー(角)はない。しかしコーナー(角)はただ建築のプレゼンスの形而上学の操作の表明ではない。例えば、如何に建物が地面と接するかは、これまで伝統的に建築の中で主題とされた状態だった、すなわち、すべての柱は同じサイズで同じ長さであるべきか?それらは地面に同じ高さで接するべきか?等々。建物と地面の討論や、絵画における図と地の絵画的関心事を素早く考慮外に置く討論へ入っていくまさに幾らかの問いがある。

Buckminster Fuller(バックミンスター・フラー)
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Greg Lynn(グレッグ・リン)
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P.116
Peter Eisenman:建築と絵画両方のグラウンド(地面、地)は所与や画面等々の様な絵画的関心事と関係する様になる。もし両方の分野が効果を生み出すためであるならば、グラウンド(地面)とキャンバスは明らかにある根拠である、つまりそれらは何処かに行ってしまわないだろう。
一般的に平らであると見なされるとはいえ、建築のグラウンド(地面)は絵画におけるグラウンド(地)あるいはキャンバスとは異なった役割を担う。先ず最初に、建築のグラウンド(地面)は水平でありだから絵画の表面の大抵垂直なグラウンド(地)とはサブジェクト(主題、主体)に対して異なった関係性を持つ。反対のことを試みる何でも、建築における文字通りの図/地の関係性(敷地に立っている建築)は文字通りのヴォリューム的なプレゼンスの様なものを縮小(変形、還元)する如何なる試みにも明白に挑戦するだろう。絵画においては、グラウンド(地)としての文字通りのキャンバスがある。絵画においてキャンバスの表面を主題化する、すなわち、文字通りの平らよりもそれを他のものにする多くの試みがあった。これらの一つはグラウンド(地)をより平らにすることによって、すなわち、コラージュの場合の様に、よりコンセプチュアルに平らにすることによって、このフラットネスを主題化することである。このコラージュは知られている絵画的な効果を使うことによって為されるが、コラージュはまた形而上学の否定と純粋なプレゼンスへのムーブメントの中で新しい効果(それは後に絵画的であるとして分類されるようになったのだが)を創造する。建築ではグラウンド(地面)はよりグラウンド(地面)らしくめったにされない、すなわち、まさにグラウンド(地面)あるいは純粋なグラウンド(地面)にめったにされない、何故ならそれはリアルな(現実の)グラウンド(地面)以外の何か他のものとしてめったに考えられないからだ。よりもっともらしいシナリオはグラウンド(地面)をコンセプチュアルな所与として主題化することではなく、むしろ水平の表面のグラウンド(地面)をマルチプル(複合的)なデータでモデリングすることを提案することだろう。

→絵画の自立性や平面性はクレメント・グリーンバーグのモダニズム論によるものだろう。
美術でも音楽でも文学でも仮想の中にその価値がある。建築では機能主義という信仰に洗脳されたせいか、数量的科学因果律が建築では今でも根底で信仰されていて、基本におかれている。ミースはLess is moreを目的としたのではない、Less is moreを使って時代精神(トマス・アクィナスやノース・ホワイトヘッドの思想)という仮想の価値を表現しようとしたのである。コールハースやアイゼンマンはデリダの様に、当り前のものとされているものの中に、その当り前のものの不在を現象させようとする。それはポスト構造主義の時代の時代精神とも言える。つまり私達が真理だと思っているものも、実は仮想の世界のものであるということである。(井戸)

Clement Greenberg(クレメント・グリーンバーグ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
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Thomas Aquinas(トマス・アクィナス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9
Alfred North Whitehead(アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%98%E3%83%83%E3%83%89
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80