Architecture Words 1
Supercritical
Peter Eisenman & Rem Koolhaas
AA Publications
Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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YouTube(Peter Eisenman)
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Rem Koolhaas(レム・コールハース)
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You Tube(Rem Koolhaas)
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→アイゼンマンが言うように、ともに構造主義とポスト構造主義を道具に使うピーター・アイゼンマンとレム・コールハースの対話。(井戸)
P.15
Rem Koolhaas:勿論このすべては、ある意味で、一種のグロテスクさである。ポピュリズム(人民主義、民衆主義)はリアル(現実)であり、私は建築の中のポピュリズム(人民主義、民衆主義)の何かを示すピクチャー(画像)を持っている、そしてそれはおそらくピーター(・アイゼンマン)が彼のベルリンのホロコースト・メモリアルをどのように示したのかと興味深い比較になる。それはそのオープニングの時そのメモリアルの周りを歩いているピーターの後を追いかけているジャーナリスト達の群れのピクチャー(写真)だ。これが、メディアの群集の真ん中にいるピーターだ。私はこれを見ていて不思議に思っていた、このスペクタクル(光景、見世物)の政治や経済はどこに集まるのか?それは、中国の政治システムとその経済の中での建築の為のスペース(空間、場所、余白)に関して、私達が事務所でより最近問い続けている問いである。多くの人々が考えることとは反対に、中国は市場経済(資本主義)になる途上ではない、つまりそれは独裁主義の国家が残ったままであり、それゆえヨーロッパとは完全に異なった方法で物事をすることができる。今夜の様な対話の中で、私達は建築家としてそのような国家への私達の寄与(貢献)を議論することはできるだろうし、あるいは私達はその国家を批評(批判)することもできるだろう。両方が可能だ。私にとって私達の最近のCCTV(中国中央電視台)プロジェクトに関して持ち出すべき重要なポイントは、そのフォーム(形態、形式)についての幾つかのポイントではない。
Holocaust Memorial Berlin(ホロコースト・メモリアル、ベルリン)
→ピーター・アイゼンマンとリチャード・セラのコラボレーション。(井戸)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Holocaust+Memorial+Berlin&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Holocaust Memorial Berlin)
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CCTV(中国中央電視台)by OMA
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P.16
Rem Koolhaas:そのプロジェクトについて興味深いことは、そのメディアや中国の中の新しい状況とともに作用する為に使われうる新しい施設のその信じられないくらいの集積である。だからこのメディアの未来の視聴者の活動はCCTV(中国中央電視台)について考えるとき決定的に重要である。私達は実際に人々に興味があるが、ヒューマニタリアン(人道主義者)やヒューマニスト(人間主義者)あるいは建築的に「素晴らしい」方法には興味がなく、むしろ単にどのように人々が今日の世界的な文化の流動や振る舞いの中で存在するのかに興味があるということは、おそらく私達のワーク(作品、取り組み)のとても流行遅れの(保守的な)側面だろう。
私達は殆どすべての文化が衝突しているばかりでなく、相互に作用し影響し合ってもいる瞬間にいる。どのように私達がこれらの流動と交換(やりとり)の新しい状況と取り組むかは私達のワーク(取り組み、作品)には決定的に重要だ。新しくてより良い状況を創造するためのこの状況の中から私達が取り組むことができるかどうかを見る(思い描く、創造する、調べる)ことに私は興味がある。このことは建築家としての私達にとってとても重要な論点のままだ。私にとって観衆(視聴者)は建物を作り出す人々とそれを使う人々、つまりそれを通り過ぎて歩いて行く人々や最終的な意気揚々としたイメージ、あなたがあなたの最も途方もない夢の中でしか夢見ることができない種類のイメージ、観光パンフレットの様なフラットネス(平坦さ、明白さ、単調さ)をともなったイメージ、あるいはインターネットのイメージや、絶えず続き終わりのない対話の中に存在するイメージを楽しむ人々、両方である。ここでひとまず止めよう。
→ヒューマニズム(人間中心主義)やエコ(エコロジー)も、一つのイデオロギー(信仰)だ。それによって善悪や貴賎が被せられ、あたかも自分が正義(側)であるかの様に語られる。コールハースはエル・クロッキーのインタヴューですべてのイデオロギーから自由になることと言っていたが、意味や価値の剥奪は実際には完全には不可能だから、その到来を遅らせ続けること(脱構築、差延)、要約や言語に回収され尽くせない世界を構築すること。形而上では観念を、形而下では感覚を、誘発し、それらを連続的に往来し、それがそれでしかないものを構築すること。シンパシーを感じる川上未映子の様な言い回しになってしまった。(井戸)
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
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Charles Sanders Peirce(チャールズ・サンダース・パース)
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Edmund Husserl(エトムント・フッサール)
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Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
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Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
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Claude Lévi-Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)
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Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
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Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
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Louis Althusser(ルイ・アルチュセール)
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Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
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Roland Barthes(ロラン・バルト)
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Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
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Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
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