Talking Architecture
Interviews with Architects
Prestel
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
P.104
Hanno Rauterberg:あなたはあなた自身を慣習的(伝統的)な建築家として定義しますか?
Rem Koolhaas:(笑いながら)いいえ、全然。おそらく人は、たとえそれがいつも完全に保つことが容易でなくても、私が建物を批評の実用的なフォーム(形式)として、相互に学ぶプロセスとして見ていると言うことができる。それは逆説的な状況だ、つまりあなたは批評的な距離を保ちたいし、同時にプロジェクトに浸されたい。珍しいことではないが、私達はセンシブルな(感じられる)如何なるものがそれから生じてくるかまさに全く知らない事に熱中(関係、参加)しなければならなかった。私達の問いが生産的に作られ得たかどうか、デザイン(設計)に変えられ得たかどうか。一時、例えば、私は都市はセンシブリー(知覚的)に計画されえないだろうと確信させられていた。私達はラゴスという、巨大な都市を調査した、そこはそれ自身を完全に組織化し、如何なるプランナーも建築家もなしで十分よくうまく切り抜けていて、私には全体として都市計画に対してとても兆候的だと思われた。さらに再三私達は都市に取り組むよう、計画を発展させるよう求められ、私達は本当にそれらを信じられないままにこれらのプロジェクトに関わった。
Hanno Rauterberg:失敗の中の喜びから出て?
Rem Koolhaas:いいえ、私達にとって重要なことは、私達自信と私達の表面的なパースペクティブ(見方、解釈)を問うことだった。何故ならあなたがあるプロジェクトに関わった時のみ、作戦行動(策略)にどのような余地があるかを判断できるからである。そして偶然にも、それが私達がラゴスで如何にやっていたかということだ。同時に、都市の発展を自己組織化するための状況を創造したのは都市計画家であるという多くの徴候がある。計画された要素や計画されていない要素は、本当に活力のある都市の為に両方必要である。一緒になってそれらは必要な緊張を作り出す。
Hanno Rauterberg:それはあなた自身の作品に、理論と実践の間の緊張に、同じように適用されるのですか?
Rem Koolhaas:兎に角、私達はこの緊張をシステム的に深めよう(耕やそう)とする。一時は、それはとても困難だった、なぜなら私達は私達のすべての批評的な熟考をすべてのプロジェクトのデザイン(計画)に持ち込みたかったからだ。数年後、私達は、私達のリサーチ・オフィスであり、一種の思考の工場である、AMOと呼ばれるOMAと並ぶ2番目の会社を設立した。
Hanno Rauterberg:それはあなたがあなた自身をジキルとハイドへと分割したことを意味しますか?ジキルは建て、ハイドは考える?
Rem Koolhaas:(笑いながら)ジキルはハイドについて何も知らないし、ハイドはジキルについて何も知らない、だからそれは私達との違いだ。AMOで進行している多くのことはまたデザイン(計画)にも入って行く。しかし直ぐに(直接的に)建てなければならないことなしに、システム的に物事について考えることができることは、私達に信じられないくらいの自由を与えてくれる。スペシフィックな(特定の)プロジェクトを越えた建築的思考への顕著な必要性がある。
Hanno Rauterberg:あなたは欧州連合と同じくプラダのアドバイザーでもある。あなたは建築産業のマッキンゼーですか?
Rem Koolhaas:普通のアドバイザーであれば、それはただ利益を増加させる問題だけだ。私達はそれには興味がない、私達はそれについて何も理解してさえいない。基本的に、私達が関わる限り、それが関わるものは、非-物質的な価値へのプロパガンダ(宣伝活動、布教活動)である。それはむしろアートの中にあるようなものであり、それは同様にその財務的側面を持ちその上実際にそのコンテント(内容、意味)と美(美学)で生きている。私達はコンテント(内容、意味)と美(美学)に興味がある。
→「表面的なパースペクティブ(見方、解釈)を問うこと」はニーチェの影響だろう。(井戸)
McKinsey & Company.(マッキンゼー・アンド・カンパニー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%BC
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Jean Baudrillard(ジャン・ボードリヤール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%AB