S,M,L,XL
O.M.A.
Rem Koolhaas and Bruce Mau
010 Publishers
Monacelli Press
Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Bruce Mau(ブルース・マウ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Bruce_Mau
P.603
フランス、パリ、フランス国立図書館コンペ、1989
P.604
変な科学:日記からの抜粋
1989年4月29日
親愛なる日記、
私達はこのコンペ(設計競技)に勝ちたいのかあるいは勝ちたくはないのか?
勿論、審査員らは、建築家でなく、コンペを決定する。しかし先ず最初に私達自身がそこに存在し、目に見えない判断が存在する。つまり、それぞれのプロジェクトに対して、はるか彼方の地、如何なる審査員もついてこないだろう領域が存在する。
すべての陰謀(共謀)や政治的圧力やあくどい汚職の全体的な損失よりもより偉大に、審査員らが一等を与えなかったこれらすべての「名作」は、私達があえて想像することを冒険的に試みなかった光り輝く作品の悲劇でさえある。
コンペに勝ちたいと望むことは、あなたが最も可能な作品を作りたいと望むことと同じではない。
いずれにしても、偏執(妄想)的になってはいけない。つまり、名前(名声)を忘れろ、審査員達は単なる統計的なサンプルであり、彼らの「陰謀(計画、筋、趣向)」はまさに現実の世界からのメッセージである(あなたはそのメッセンジャーを殺すな)・・・。
P.606
5月3日、パリにて
親愛なる日記、
私達は以前からここに居た、89年のエキスポの為の私達の提案から(そのために、私達はもはや建物を信じていなかった・・・)。
正直なところ、莫大な建築上の努力にもかかわらず、このセーヌ川の地域は退屈だ。
→コールハースの思考方法にはアメリカ時代の友人、フーコーの影響があるのではないかという直観がする。確かコールハースはニューヨーク時代にアイゼンマンの「建築都市研究所」(IAUS)に関わっていたので、アイゼンマンと同じく、その他のポスト構造主義者、デリダなども影響していると思うが・・・。例えばそのテキストの書き方(様式)からして、近代的な価値観=「論文形式が他の形式よりより高尚だ」というような暗黙の慣習的思考法の巷の建築家とは違い、物語であったり、インタヴューの併置であったりと、色々な枠組をそのまま併置し、重ね合わせしていく。それは建築でも同様だ。つまり、「~だから~だ」「~だから~しました」という近代的因習的組立てをしないのだ。ちなみにフェリックス・ゴンザレス=トレスが学生達に何度も読めというアルチュセールはフーコーやデリダの先生である。(井戸)