El croquis 86(El croquis 86+111)
Luis Moreno Mansilla + Emilio Tunon
http://images.google.co.jp/images?gbv=1&svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Luis+Moreno+Mansilla%2CEmilio+Tunon&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
P.13(P.17)
新造型主義/表現主義
LMM+ET:1922年にモンドリアンは書き記している。「建築は3次元の表現をたよりにするべきだという定着した考えは新造型主義者に「フラットな」サーフェスは建築では不可能であると考えさせた。しかしそれにもかかわらず形態のイメージとして建築を見ることは伝統的な概念である。それは過去の視覚的見方(パースペクティブ)である。新しい見方(新造型主義にとってもまた)は単一で正確な視点からのものではなく、物事をすべての場所どこでも、と同時にどこの場所でもなく見ることであり・・・場所とも時間とも関係していない(相対主義の理論に従って)。それは実際にその平面の前面にある。このようにそれは建築をサーフェスの複合として見る;またしても平面として見る・・・。」
MVRDV:「サーフェス(表面)」は、アーキズームの時代のヴォキャブラリーの再解釈としてみれるけれども、最近まさにヒップな(かっこいい)言葉だ。「サーフェス」は可能な連続とルーズネス(たるみ)を提供する。
これはまさに楽天的な考えだ。しかし「サーフェス」は連続したものを断ち切る道具でもある。ユトレヒトのダブルハウスのように;それは二つの力、二つの家族の間の一種の膜である。それは平面が「凍った」「石化した」瞬間であり、そのために見た目には終りのない楽天主義が実際は終わっていて、ジェネリック(一般)がスペシフィック(特異)になっている。
正確で単一な視点がないという事実はまだアピールしている(人々の興味をそそっている)。それはルーズな動きによるものである。しかし私は建築をただ単にサーフェスの複合として見ないばかりでなく空間の複合としても見ない。
Piet Mondrian(ピエト・モンドリアン)
http://images.google.co.jp/images?gbv=1&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Piet+Mondrian&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3
Archizoom(アーキズーム)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Archizoom&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5&gbv=1