Conversations with Mies van der Rohe
Moises Puente,editor
Princeton Architectural Press
Mies van der Rohe(ミース・ファン・デル・ローエ)
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A8
You Tube(Mies van der Rohe)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Mies+van+der+Rohe&search_type=&aq=f
P.66
質問者:あなたはかつてペンシルバニアの納屋について言及しましたね。
Mies van der Rohe:はい、素晴らしいペンシルバニアの納屋、私は本当に殆どの建物よりもそれがより好きだ。それはリアルな(現実の)建物であり、そういう理由で私がアメリカで知る限り最も素晴らしい建物である。
ワシントン橋は、私が思うに、モダンな(近代の)建物の素晴らしい例である。それは直接に論点に向かう。おそらく彼らはこれらのタワーについてのアイデア(考え)を持っていたかもしれないが、私は原理(本質)について話しているのであって、それについて話しているのではない。しかし、ハドソン川の一方の岸からもう一方の岸までこの単純で真っ直ぐな線で行くこと、それは私が意図していることだ。
何か他のことがある。私達はドイツ語で「Baukunst(建築)」という言葉を使う、それは二つの言葉、つまり「Bau(建物)」と「Kunst(アート)」である。アートは建物のリファインメント(洗練、純化)である。それは私達が「Baukunst(建築)」で表現するものである。私が若かった頃、私達は建築に対するドイツ語、「Architektur(建築)」を嫌っていた。私達は「Baukunst(建築)」について話した、何故なら建築とはあなたが外部から何かを形作ることだからである。
→「外部から何かを形作ること」、ミースにとっては時代精神つまりコンストラクション(構築、建造)を表現することであり、コールハースやアイゼンマンにとっては時代精神、つまり脱人間主義的なルールの過剰作動によって、制度化された人間主義的根拠(私達が無意識的に自発的に捕らわれの身となる透明でミクロな権力)の「不在」を現象させ、意味と形態の癒着を宙吊りにし、感覚を開くことである。(井戸)
質問者:あなたは「Baukunst(建築)」の一つの特徴はいつもある道理に合うことであったと言っているのですか?
Mies van der Rohe:はい、少なくともそれは「Baukunst(建築)」の中で私が好きなものである。たとえ私が若かったとき私達が沢山のバロックのものを作らなければならなかったといえども、私は決してバロックの建築にそんなに興味がなかった。私は構造的な建築に興味があったし、私はルネッサンスに興味があったし、私はゴシックの建築に興味があった。それらはしばしば誤解された。大聖堂の柱の断面、それはまだとても明白な構造である。リファインメント(洗練、純化)はそれをより明白にすることであり、それを装飾することではなく、それをより明白にすることだった。人々は考える、彼らがこれらの建物の一つを見る時、彼らはそれはあまりにコールド(つまらない、愚直な、すばらしい、冷たい)と言うと。しかし彼らは彼らが求めているものを忘れた、何故なら、彼らは考える、それはあまりに強いオーダー(建築様式、秩序)であると。彼らはそれをミシガンアヴェニューの湖前の至るところに置いた。それは彼らが本当に求めているものだ。彼らはそれについて明白ではない。彼らはカオス(混沌)を求めている。しかし豊かさが有り得る。
P.67
Mies van der Rohe:それはカオスになる必要はない。私はあなたは明白なエレメントを使いそれを豊かにすることができると思う。如何なる中世都市も同じプラン(平面図)を至るところに使っていた。違いはドアノブあるいは出窓でありそれは彼らが持っていたお金に拠っていた。しかしプラン(平面図)は殆どみんな同じだった。彼らは安定した(永続的な)文化を持っていた。
1964年のインタヴュー
質問者:技術的な発展についてはどうですか?
Mies van der Rohe:人々は私が異なったマテリアルでコンストラクション(構築、建造)を使ったことに驚いたが、それは私にとってみれば全く通常のことだ。ある場合では屋根のプレートはリアルな(現実の)プレートであり支えられなければならない。あなたがそれを鉄で建てようがコンクリートで建てようがそれは問題ではない。殆どすべての大聖堂は同じ構造的原理を持っている。その何が悪い?あなたは変えることができる。あなたはそれを本当にコピーする必要はないが、あなたはそれを構造的な原理として使うことができる。
それは、事実、私達が取り組み始めた時私達のアイデア(考え)だった。私達は如何なる人にも使われ得る新しい構造的解決を開発したかった。私達は個々の解決を求めてなかった。私達は良い構造的解決を求めていた。私達はもし誰かがそれを使っても嫌だと思わない。私達はもし誰かがそれらを十分に使わないならば嫌だと思う。確かに直接教えた学生よりもより多くの私の知らない学生がいる。しかし私は確かに全く嫌だと思わない。反対に、それは私達が成し遂げようとしてきたものであり、私達はそれを行なった。それには疑いがない。
→ミースがミニマル(シンプル)を表現することを目指していたのではなく、コンストラクション(構築、建造)を表現することを目指していたのは、開口部のディテール等を見ればわかる。コンストラクションをより明確に表現するためにミニマル(シンプル)が使われた。(井戸)