The Non-Objective World
The Manifesto of Suprematism
Kasimir malevich
Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Kazimir+Malevich&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%81
美術家の言葉(カジミール・マレーヴィチ)
http://www.b-sou.com/palw-Malevich.htm
Suprematism(シュプレマティズム)「無対象感覚絶対主義」
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Malevich+Suprematism&btnG=%E3%82%A4%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%B8%E6%A4%9C%E7%B4%A2
→この本の内容は既にバウハウス叢書11「無対象の世界」カジミール・マレーヴィチ 五十殿利治訳 中央公論美術出版 にて和訳で読めますが、僕はやはり英語でゆっくりじっくり読むほうがいろいろと考える楽しみも増えるので、英語版を読みたいと思います。(井戸)
P.10
パート1
絵画における付加的要素の理論への導入
P.11
Kasimir malevich:創造的な活動は線や平面や3次元のシェイプ(形)の方法によって表現され、最も多種多様な種類のものでスタティック(静的)なあるいはダイナミック(動的)なフォーム(形)を作り出し、それらはそれでもなお色や色相や構造やテクスチャー(肌理)や組織やシステムに関してお互いにさらに異なっている。
→ジャッドがマレーヴィチに影響を受けたのは明白だが、ジャッドの「スペシフィック・オブジェクツ」の中の言い回しの様だ。(井戸)
Kasimir malevich:二つの基本的な創造のタイプが分類され得る。一つは、いわゆる、意識的な心(精神、理性、知性)によって起こされ、実際の生活に奉仕し、具体的な視覚的現象を扱うものである。もう一つは、潜在意識のあるいは超意識の心(精神、理性、知性)から生じ、すべての「実際的な有用性」とははっきりと違っていて、抽象的な視覚的現象を扱うものである。
私達は科学と宗教(信仰)、アートの中の抽象、の中に具体的な要素を見つける。
このようにアートは現象のヒエラルキーの中でその明確な場所を持ち、科学的に考察され得る。
これは私をアートの中の個々の視覚的な効果の研究へと導き、アートとアーティストの中の注目するべき変化の原因を発見する為に、その方法(道筋)はそれらが成し遂げられたものである。
この目的の為に私は絵画の特別なフィールドを選んでいるところだ、というのも私はそれ(絵画)を最もよく知っているからであり、私は意識的で潜在意識的な心(精神、理性、知性)の結合されたファンクション(機能、作用、相関関係)として画家の活動を考察するだろう。この目的は如何に意識的で潜在意識的な心(精神、理性、知性)がアーティストの環境を構成しているすべてのものに作用する(反応する)か、「明確」と「不明確」(意識的と潜在意識の心)のどのような関係において、お互いに位置しているのかを決定することである。
私はこれを、一般的に芸術的な制作の、特に絵画の研究と呼び、それは私が「芸術文化の科学」として示された方法の中で追求するだろう。この論点から絵画は私にとっては「全体性」や「ボディー(身体)」になるだろう、そこはすべての特別な状態と原因(目的、主張)が明らかにされるであろうところであり、アーティストの世界の概念であり、ネイチャー(自然、本質)のアーティストの特別な見方とアーティストにのしかかる環境の効果である。それは美学的現象のドキュメント(記録)であり、(科学的に考えられたときでさえも)新しい科学の主題、絵画のネイチャー(自然、本質)の科学になるだろうきわめて価値のあるマテリアルを含んでいる。絵画は今までのところは純粋に「感情的な」何かとしての批評によって、あれこれのアート作品が存在するようになる環境の特別な特質に対する考慮なしで、見られ扱われてきた。
P.12
Kasimir malevich:芸術の構造の発展を何が引き起こすのかということを、それに影響を及ぼしている環境に対するその関係によって説明することができた分析的な研究はかつて着手されなかった。ある色のシステムあるいは構築は何故、絵画の「ボディー(身体)」の中で発展するために拘束されていたのかについての様に、基本的な問いは決して扱われなかった。
→ジャッドが色について、歴史的な拘束(絵画が何かを表象し光と闇を表現する制度の中での色の慣例的な使用という拘束)から解き放たれ、色自身を探究する可能性が開かれたばかりだと言っていたと思うが、それもマレーヴィチの影響だと思う。
また、色とは関係ないがマレーヴィチのキュビズムからシュプレマティズムへの探究の中には、インタヴューでキュビズムやデコンストラクション(脱構築主義建築)が好きだというアルヴァロ・シザの建築の根底にあるものとも繋がってくると思う。(井戸)
Donald Judd(ドナルド・ジャッド)
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Alvaro Siza(アルヴァロ・シザ)
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