James Turrell
Curator of the Exhibition and Catalogue : Ana Maria Torres
IVAM Institut Valencia d’Art Modern
GENERALITAT VALENCIANA
P.62
J.T.:ベルリンのアジアの東部からやってきた仏陀の像は示している。「最も高貴な真実はイメージがない。しかし、もしイメージがなかったらそれ自身を明示する為の真実のための可能性がない。最も高貴な原理は言葉がない。しかし、もし言葉がなかったならば、如何にしてその原理は知られるのか。」私は以下を付け足す、最も高貴な状態は形を持たない。しかし、もし形がなかったら如何にその形のないものがアプローチされ得るのかと。私は考える、何故、形なしで、イメージなしで、言葉なしで、作品をつくろうとしないのか?特別な象徴主義のなかで、私はその種のcontent(内容)から遠ざかるこの考えを持った。Magnetron(磁電管)のピースにおいては実際content(内容)があった。
→MagnetronはP.454~463参照。テレビのブラウン管サイズの開口部を壁面に空けて、内部はいろんな色がぼんやり光っている作品。(井戸)
J.T.:私達はグレートバリアリーフをつくったサンゴと違わぬ方法で私達が住んでいるこのような構造物を排出してる。私達は都市をつくるためにこのようなことを一緒に行っている。
J.T.:私はあなた自身が見ているもの見、あなた自身が観ているものを観ることは可能だと考える。外部からこの部屋に入ってきている光は、外部からのこの光の応答のいくらかの方法の中でイメージされオーガナイズされる。
この「カメラ・オブスキュラ」、「プラトンの洞穴」へ入っていくことはそれ自身が観る空間を観ることである。この自己内省的な観ることは、何かを発見した小さな子供をみるようである。それらの顕現は私達に再び新鮮な目で何かを観る機会を与えてくれる。
J.T.:「プラトンの洞穴」を知覚の不完全さへのその類似と共に再び考えると、網膜は洞穴の壁のリアリティーの反射を見るには最適だ。事実、それは如何にカメラ・オブスキュラがつくられているかということである。カメラは部屋を意味する。