El croquis129/130
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J.H.:私達にとってカウントできることはタブローのそのような状態(西洋におけるアートの自治的な作品の規範、世界との同等性、主題との同等性)よりもそれが暗示している知覚の質である。人間の感覚はタブローの集中した世界の中で共に沸き起こる。
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J.H.:ピクチュアー=サブジェクトの等式は変換されない。それはアートと建築の大きな違いである。
J.H.:建築家が色を選ぶとき、建築家の嗜好に従う。個人的な嗜好に頼ること以上に悪いものはない。
J.H.:彼(Remy)は「そのグリーン(ピッチの芝の色)に従うべきだ。」とアドバイスしてくれた。しかし、屋外で現実的な3次元の空間で、まさに一つのグリーンはない。千(無数)にある。
→先日のジャン・ヌーベルの講演会では建物の色は地元のサッカーチームの色というような説明があったが、ジャックの説明(記述)ではチームカラーはファッションで変化するから、その色に合わせなかったとのこと。(井戸)
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現象学的方法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E8%B1%A1%E5%AD%A6
J.H.:物事の形態論的記述では十分ではない。私達は日々の生活や、人々が動き社会学や心理学をカウントできる方法を記述することが可能なツールを見つけ出さなければならない。まだ、都市の心理学は物質的世界をみることによって読めるのだ。都市はうちたてられたサイコグラムのようだ。
私達はジェネリックなものよりもスペシフィックなものから起こる問いをたずねる。他の建築家や都市計画家とは違い、グローバリズムが私達をジェネリックシティに連れていくことを信じていない。都市はスペシフィックに向かって動いている。
→コールハースの「ジェネリック・シティ」との違い。ドナルド・ジャッドの「スペシフィック・オブジェクト」(井戸)