Herzog & de Meuron, 1997-2001: The Complete Works 4
Birkhauser
Herzog & de Meuron(ヘルツォーグ・アンド・ド・ムロン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Herzog+%26+de+Meuron&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Herzog & de Meuron)
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P.222
Jacques Herzog:ロンドンのテート・モダンをアーティスト達やキュレーター達や訪れる人々と共にその様な成功した建物にする最も重要な建築のエレメントの一つは、私達がその殆どすべてのレベルに採り入れた木の床である。不規則で未加工のオークの床の板材は単にそれらの根太の上に、ブルータル(粗暴)と同時に美しく釘で打ち付けられた。それは産業的な建築のピースの様にラフで(粗くて)、ファッションデザイナーのヴィヴィアン・ウエストウッドの超洗練されたファブリック(織物)の様に柔らかだ。この巨大な建物の中で人々に基礎を与え根付かせ、彼らがアートの作品の前で垂直に立っている時に持つセンス(感覚)を際立たせる為に、私達はスペシフィック(特異)な床のサーフェス(表面)を採り入れたかった。だからガダマーの寄せ木張りとは違い、テート・モダンの床は熟練工の制作物よりもむしろ知的である。私達は伝統的な制作物の遠い昔の方法を生き返らせるノスタルジアには興味がない、むしろ私達はフィジカルな(自然の、地形の、物質の、身体の)結果や、伝統的な建築のフィジカルなリアリティー(現実性)に興味がある。このリアル(現実)のセンス(感覚)を成し遂げる為に、私達は、個々に必要な技術的スキルを下稽古するよりもむしろ思考や議論や挑戦によってドライブ(運転)されるプロセスの一部として建物の中の殆ど主要なディテールのフルスケールのモックアップを発展させテストした。
テート・モダンの床は、この方法で、私達のコンセプチュアルで戦略的な建築へのアプローチのプロトタイプになり、そのアプローチは私達みんなが以前にどういうわけか見たことがあるように思う、快適で馴染みのある建築のエレメントの伝統的なコスチューム(衣装)でしばしば覆われる。この木のサーフェス(表面)は、勿論、その新しい美術館の中で単一で孤立したピースではない。それは建物全体のオーバーオール(全体的)なコンセプトに縛られていて、私達が好んで合気道の戦略と呼ぶものに基づいている。これはそれを通して、合気道の戦うアート(技術)テクニック(技術)の中の様に、それを私達自身のエネルギーへと変換しながら、私達が私達自身の目的の為に使う質として私達が先在するものを捉えようとするシステムである。だからかつては馴染みのないものや都合の悪いものや克服できないものの様に思われていたものが突然あなたが建築的で都市計画的なシナリオとして行動し指図することができるフィールドとなる。
これらの戦略の重要性は私達が最初に既存のBankside power station(バンクサイド発電所)の巨大な煉瓦のマッス(塊)に直面した時に私達には明らかになった。私達にできるかぎり何ができたか?私達はこの建物の巨大な煉瓦の山を裂いたり、(最初は私達はコンテンポラリー・アートの美術館と直接的に関係するものとして見ていなかった)煙突の様なその明らかな建築的エレメントの一つも壊すことは提案できなかった。
Vivienne Westwood(ヴィヴィアン・ウエストウッド)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&q=Vivienne%20Westwood&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Hans-Georg Gadamer(ハンス=ゲオルク・ガダマー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%83%80%E3%83%9E%E3%83%BC
P.223
Jacques Herzog:既存の構造のもう一つのパラドックスは、それはテムズ川の向こう岸に隣接しているセント・ポール大聖堂(その建物はバンクサイドと対比して、特に強い都市の象徴的力を持っていて、人がそれに近づいて来れば来るほどより人目にふれなくなりより非公然となるものだ)のクーポラの煉瓦のタワーとその建物を繋げようというその建築家サー、ジル・スコットの明らかな意図であった。