Please Attention Please:Bruce Nauman’s Words
Writtings and Interviews
Bruce Nauman
Edited By Janet Kraynak
The MIT Press
Bruce Nauman(ブルース・ナウマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Bruce+Nauman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%83%B3
You Tube(Bruce Nauman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Bruce+Nauman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Bruce Nauman ”A Cast of the Space Under My Chair” 1965ー68年
http://homelessmonalisa.darq.uc.pt/sampling/BNauman.RWhiteread/BruceNauman.RachelWhiteread.htm
→「椅子と椅子の下の空間」の実在物と空間の反転。(井戸)
Bruce Nauman “Green Light Corridor,”1970年
http://www.guggenheimcollection.org/site/artist_work_md_117_1.html
→「展示空間と廊下」の関係の反転。(井戸)
Bruce Nauman “Depression(くぼみ)”1977年
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Bruce+Nauman+Depression&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5
→モニュメントの代表としてのピラミッドの反転。(井戸)
P.258
MD:あなたのこれら全ての異なったメディア(媒体)とのかかわり合いで、あなたの作品はアートよりも他のものである沢山の異なった側面、例えば、心理学や、行動学や、現象学等を持っている、あなたはアートよりも他の分野の中で広範囲に(大量に)読書しているのか?
BN:広範囲(大量)ではない、私はそうは思わない。私は沢山のものを読むが、しかし全く計画的ではない。私は作品が読書から出てくるというよりも、むしろ作品の後にやってくる読書への興味であると思っている。
MD:あなたはこれらのプロセスに、こえらの技術的な側面に興味があるのですか、あるいはまさにそれが目的ですか?
BN:ああ、時々は、必ずしもではないが、私はガラスの吹き込み形成は技能として興味深いことを意味しているが、しかし私は特にそれを学びたいとは思わない。
MD:1969年のPerformance Corridor(図1.11参照)は何だったのか私に話して。
BN:それはピース(作品)だった、それは私がサウスハンプトンに住んでいたときで、私はスタジオの中でヴィデオテープをしていた、それはその当時私がしていたすべてについてのもので、私は「Walk with Contrapposto(コントラポストで歩く),1968年 図1.12参照」をテープに記録する特別なパフォーマンスの為のプロップ(立て掛け)としてそれを建てた。Marcia Tuckerが(ホイットニー)美術館で「アンチ・イリュージョン:進行(手順、処置)/マテリアル」という展覧会をした時、そのピース(作品)はまだスタジオの中にあって、私は長い間それをそこに置いていた。私はそれをそのとき使い、それから取り壊した、私はそれによく慣れてそれが好きだった。しかし私は決してそのような何かを展示しなかったし、見せもしなかった。最初は私は決してそれを彫刻あるいはアートのオブジェクト(客体)として全く考えていなかった、それはプロップ(立て掛け)だった。
Marcia Tucker
http://en.wikipedia.org/wiki/Marcia_Tucker
→コントラポストとは後期ルネサンスの絵画や彫刻などにおいて、人体の正中線がわずかにS字形を描き、腰・肩・頭が異なる向きになるポーズのこと。(井戸)
MD:それは正確には何だったの?
BN:それはスタジオの壁から約20フィートと約20インチ離れて真っ直ぐに突き出したまさに二つの平行な壁だった。私はそれがそんなに大きくはなかったのを憶えていて、私はいくつかのより大きなものを思い出すことができる。私はついにはそれがあるがままのみごとな手段だ、それはパフォーマンスの必要がないとまさに決心した。いかなる特別なインストラクション(説明)なしでそれを見せることは私にとってはとても困難だったと思う、なぜなら私は人々に彼等自身にパフォーマンスをさせたくはないと感じていたからだ。私は状況をコントロールしたかったし、私はそのコリドール(廊下)と同じくらいシンプル(簡単)で屈曲のない何かを与えることによってそれを感じ、それは私がかつてしていたことよりもより多くのラチチュード(解釈・思考・行動などの自由、許容範囲)を人々に私が許していたということだった。
P.259
MD:それであなたは不安(ここちよくない、落ち着かない)だった。
BN:ああ、私はとても不安(ここちよくない、落ち着かない)だった。と同時に、行き止まりのコリドール(廊下)のアイデア、それは私がそのピース(作品)を建てた時には考えもしなかったが、私はそれがそこにあったときそれについて見つけた、それは本当に私に訴えかけてきた。