El croquis 140
Alvaro Siza 2001-2008

Alvaro Siza(アルヴァロ・シザ)
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You Tube(Alvaro Siza)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Alvaro+Siza&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.6
物事の意味
Juan Domingo Santosによるアルヴァロ・シザとの会話
2007年夏/秋 ポルトにて

Juan Domingo Santos:私は私がまだ建築学校の生徒だったとき、偶然私が手にした本のページをめくりながら、アルヴァロ・シザの作品について学んだ。その偶然の出会いについて特に私が憶えていることは、満潮のとき海水に氾濫された、岩の中に掘込まれた水のプールの写真に私が魅了されたということだ。それ以来、25年が過ぎ、その私はまだ限りない場所、水によって侵略されたぼんやりとしたテリトリー、海と大地が異なったシェィプ(形)をしているところの奇妙な感覚を持っている。私はこのインタヴューの準備をしていた間その記憶について考えることを避けることができなかった、あるいは何度も私は彼の最も最近の作品の中にある彼の最も初期の考えのプレゼンス(存在)について彼が話すのを聞いたことがある。
私はいつもアルヴァロ・シザの主な関心事は、物事がお互いにシグナルを送り合うこわれやすい遭遇の発見へと危険を冒して行くことだと考えてきた。永久不変の関係の中で生きることを励まされ(促進され)、それらは自然に(ありのままに)それらの意味を発見するように思われる。アルヴァロ・シザの作品を見ながら、ある人はプロジェクトが必要性から、アンバランス(不均衡)あるいはまだ探究されるべきヴォイド(空隙)から生じていると感じる。建物はおそらく関係のフィールドへ入って行く非居住的リサーチを含み、これ故に遭遇からの彼の作品の出現は、いつもある種の驚きあるいは発見を含んでいる。
私はアルヴァロ・シザと共に働いた、そして私は彼のすべてのプロジェクトはその中から生じる内省(自己反省)的な観察(判断)であり、肉眼では見えない思いがけない関係を引き出す静止することのない熟視であることを知った。彼のプロジェクトはインヴェンション(発明、捏造)がトランスフォーメーション(変形)から生じる創造的な翻訳(解釈)である。私は彼が物事を採用するその方法と彼がそれらを他のものに変える方法に魅惑されている。活動的で、疲れを知らないエネルギーで、彼は彼の心の中でそれらを乗り越えて行き、彼はそれらを翻訳(解釈)し、彼はそれらを変形しそれらをマルチプル(複数)の方向に向けさせる。彼は、それらの歴史が偶然によって編み込んで作られてきたことを私達に信じさせながら、それらを彼の創造でリライトする(再び書く、書き直す)。

→シザはコールハースやアイゼンマン程もあからさまにポスト構造主義(フーコー、デリダ、ドゥルーズ等)の影響を言葉で述べないが、近代的建築(近代的思考)についての自己反省について言えば、変形による効果や近代的翻訳(ロゴス)を響かせるのではなくマルチプルな翻訳を響かせることを考えれば程度の差こそあれ同じように感じる。(井戸)