El croquis 154 AIRES MATEUS 2002-2011
P.9
Ricardo Carvalho:あなた方がクリエーション(創作)・プロジェクトと呼ぶだろうものをドラフトする(下図を描く)チャンス(めぐり合わせ、可能性、機会、冒険)は、最初にジェネリックな(一般的な、ありふれた)ディレクション(方向づけ)の中で強調している様に思われる委託の中には決して現われない。
Manuel and francisco Aires Mateus:ああ、それはそれでもなお起こった。プロジェクトは一種の知(知識)あるいは与えられた現実の捕獲である。たとえプロジェクトは現実を変えるべきであろうとなかろうと、あるいはおそらくそれが既に部分的に変えられているから、プロジェクトはいつもあなたにそういう現実のすべての側面に肉薄した注意を払うように強いる。
P.10
Manuel and francisco Aires Mateus:プロジェクトの最初の段階はジェネリックな(一般的な、ありふれた)論点、つまりこの要項(要望)、この場所、これらの財務と建物の資源から、あるスペシフィック(特定、特異)な論点への動きを伴う。それが決定的に重要なステップであり、私達が何をするべきかを発見する時だ。プロジェクトは、明確な道を歩むべきだし、素晴らしい発見はそういうポイント(地点)を超えてのみ現われる。
Ricardo Carvalho:あなた方はその要項(要望)の中で明確にされたとても明白な道とともに始まったが、それからディレクション(方向づけ)の根本的な変更を被ったスペシフィック(特定、特異)なプロジェクトを思い出せますか?
Manuel and francisco Aires Mateus:それは「Home for the Elderly in Alcacer do Sal」で起こった。そのプログラムは最初重々しく条件づけられていて、私達は真直ぐな解答を用意し始めていた。しかしプロセスの中で、そのコミュニティーとコンテキスト(文脈)についての私達の増大した知(知識)が、新しい機会を開き、暗示的に最初のプロジェクトに新しい方向を与えた地形学的で、社会的で、歴史的な特徴の異なったセット(一揃い)を現わした。
この点に関して別の隠された部分を明らかにするようなケースは「Lisbon Architecture Gallery」のプロジェクトで、それはより以前のもので、実際は建てられなかった。構想されたサイト(敷地)は町の東部の、倉庫のプレゼンス(存在)とより初期の占拠(居住)、最も顕著なのは17世紀のミトラ神殿によって大いに影響を受けた産業地域だった。その計画は、Lioz石で覆われた展示館の一群からなっていて、同時にこれらの2つの遺産を通って縫うように走っていた。この覆いの単一の使用は、建物の原型的なフォーム(形態、形式)を強調した。つまりその複合体の表現の強さは、これらのヴォリュームの反復からきていて、シーケンス(連続)の中に並置された。それはシンプル(単純)な出発点だった。この覆いの中で、そのプロジェクトは自己ー参照的な方法で、完全に内部と向き合いながら発展させられた。内部空間は、ある程度までスケール(縮尺、規模)の知覚を無効にする平面と斜路のとても抽象的なシステムによって規定された。だからその純粋な状態の中の空間の広まった(優勢な、功を奏した)感覚があった。つまりその空間は認識できる要素によって汚染されていない空間であり、非ー計測的な空間である。しかしながら幾らかの点で、私達は不可避的に窓を開けなければならなかった。この例外の挿入が、私達に今まで既成事実のように思われていたその建物のオーバーオール(全体的)なシェイプ(形)を見直すことを強いた。
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88