The Conversation Series 8
Zaha Hadid
Hans Ulrich Obrist
Verlag der Buchhandlung Walther Konig Koln

Zaha Hadid(ザハ・ハディド)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Zaha+Hadid&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5&gbv=1
You Tube(Zaha Hadid)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Zaha+Hadid&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Rem Koolhaas(レム・コールハース)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=Rem+Koolhaas&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Rem Koolhaas)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Rem+Koolhaas&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Hans Ulrich Obrist (ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Ulrich_Obrist
You Tube(Hans Ulrich Obrist)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Hans+Ulrich+Obrist&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Serpentine Gallery(サーペンタイン・ギャラリー)
http://www.serpentinegallery.org/

P.85
Rem Koolhaas:私はそれとは別の、関係のない質問を持っている。最初に、私はアラブ世界で仕事をしている、そして私のそこでのエントリー(参加)は約1年以内のあなたのエントリー(参加)の後に続いている。勿論、あなたはイラク出身であり、あなたはドゥバイのアブダビや他の場所で今取り組んでいる。その最大の西洋化の時期にアラブ世界に入って行くことについてのあなたの感覚はどうですか?

Zaha Hadid:それはとても興味深い。私は数年も昔にドゥバイの橋[Sheikh Zayed Bridge]でアラブ世界に入って行き、それがうまく進むときにそれらが文字通り鉄を編んでいるために、それはあまりに費用がかかり、つまりそれは編み物の仕事だったから、それは作るのに長い時間を要した。私はアラブ世界に批評的になりたくはない。アラブ世界はいつも外国人や非アラブ人に好感を持たれてきた、なぜならこれらの人々は彼ら自身よりもより情報を持っているという感覚があったからであり、それがいつも事例(問題)になってきたとは私は思わない。60年代や70年代のクウェートあるいはイラクでされた粗末な計画を見てみなさい。同じことがサウジアラビアに適用されている。レバノンのダウンタウンでされた計画は、まさに今直接的に関係のある物語であり、問題のあるものでもある。極端な西洋化の結合とアラブのアイデンティティーの中にあるプライドとしてあなたが述べることができた最近のシフト(変化)がある。

P.86
Zaha Hadid:私はその瞬間の間にアラブ世界に入ったと思っている。現今では私は彼らがアラブ人を雇う傾向があるという印象を持つ、なぜなら彼らは世界的な目で成功している誰かと提携(連合)したいからだ。私はドゥバイにいたとき支配者の家族に会った、そして私は以前と同じ感覚を持たなかった。突然、以前はやむをえず可能ではなかった物事が可能になった。

Rem Koolhaas:そこでのあなたの作品に対するある「アラブネス(アラブ性)」があると感じますか?

Zaha Hadid:あなたがそう呼ぶ(笑いながら)、「アラブネス(アラブ性)」の効果は、全体のランドスケープ・プロジェクトに関して今まさにある興味と一致する、それは砂丘やそのような要素と関係している。アルダスのピクセレーションや幾何学にも興味がり、それは代数や幾何学や数学の点からみるとアラブのアイデンティティーと大いに関係がある。それは突然マテリアル(物質)とアイデア(思考)によって結合(関係)することが可能になる。だから、そう、結合(関係)があるが、それは私だけではない。これらの種類のアイデア(思考)の中に広がる興味深さもある。そして私は中庭の全体のアイデア(思考)を忘れるべきではない、つまり私はそれが再び再発明されうると思っている。

Rem Koolhaas:ドゥバイは大抵、シンガポールがおそらく10年前にそうだったように、過剰の場所やディズニーフィケーション(ディズニーランド風にすること)等々として風刺的に描写される。あなたはより深いより創造的なバックグラウンドがあると思いますか?

Zaha Hadid:とても興味深くなりうるいくつかの極端なアイデアがあり、私はそこでそれらをすることが可能であると思っている。そのアイデアがより極端であればあるほど、それはより歓迎される、それはあなたが一種のフリークショーをしたいからではなくて、あなたが実際に他の場所にドゥバイに注目させたり、あるいはその作品を建てさせたりすることができるものを創り出したいからである。

P.87
Zaha Hadid:私はそれは事務所の個人の野心に拠っていると感じる。野心は境界を押し広げることを意味し、私はドゥバイは境界を押し広げることがちょうど今可能である場所であると考えている。

Hans Ulrich Obrist:おそらくあなたはまさに今ドゥバイあるいはその地域であなたがしているプロジェクトのいくつかの例、おそらくここ(イギリス)では可能ではないがそこ(アラブ)では実現されうるプロジェクトの例を私達に見せてくれるのではありませんか?

Zaha Hadid:本質的に、私達が取り組んでいるプロジェクトは多くの場所で可能である。それがどこでも可能でないということは、その作品のスケール(規模)である。それは中国では可能だし、おそらくアメリカの一部でも可能だ。例えば私達がドゥバイでしているタワーを取り上げよう、それはレムもまた取り組んでいる。そのスキーム(計画)は成長したが、それは既に巨大だった。今それは橋や株式取引所や美術館を含んでいる。興味深いことはスケール(規模)である。そしてそれは夢想家のスカイラインであり、それはおもしろい。人々はアラブ人を卑しめる、そして西洋社会では彼らはいつも彼らについて何かおかしなものがあると考えがちである、それは彼らは服を着る代わりに奇妙な布を着たり覆われているというものである。しかしそこには都市のファブリック(織物)と建築についておもしろい習慣の中にあった精神がある。