Hans Ulrich Obrist & Yona Friedman
The Conversation Series 7

Yona Friedman(ヨナ・フリードマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Yona+Friedman&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Yona Friedman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Yona+Friedman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Hans Ulrich Obrist(ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_Ulrich_Obrist
You Tube(Hans Ulrich Obrist)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Hans+Ulrich+Obrist&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

→OMA/レム・コールハースのシアトル図書館のバックグランドに出会うかどうかわかりませんが、コンスタン・ニウヴェンホイスとともにヨナ・フリードマンのインタヴューを読んでみたいと思います。(井戸)

Rem Koolhaas Seattle Library
http://images.google.co.jp/images?gbv=1&svnum=10&hl=ja&inlang=ja&ie=UTF-8&resnum=0&q=Rem+Koolhaas+Seattle+Library&um=1&sa=N&tab=wi

→ちなみにP.7~21のインタビューはHans Ulrich Obrist Interviews Volume 1 CHARTAのP.233~242にも所収されています。(井戸)

P.7
発端、2003

Hans Ulrich Obrist:発端から始めよう。あなたはとても実証哲学的環境で育ち科学に対する実証主義的態度と科学への信頼を発展させてきたと言いましたね。引用すると「子供として、私はその実証主義的環境が本当になることは全然予期していなかったと発見し、その点では私は他の行動を予期できる方法は完全になかったと理解した。」これはあなたの建築上の作品の中であなたがいつも取り組んでいる考えであるという人もいる。私は、科学者達との決定的な出会いがあなたにこの発言を言わせているのかなと思っていた。あなたは例えばイリヤ・プリゴジンに会いましたか?

Yona Friedman:私はイリヤ・プリゴジンに会ったのは1977年にさかのぼる。しかし私がヴェルナー・ハイゼンベルクに会ったのはもっとずっと前だ。私は1941年に彼の研究会に行った。

実証主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
Ilya Prigogine(イリヤ・プリゴジン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AA%E3%82%B4%E3%82%B8%E3%83%B3

→ハンス=ウルリッヒ・オブリストによるイリヤ・プリゴジンへのインタヴューは上述のHans Ulrich Obrist Interviews Volume 1 CHARTAのP.746~756に所収されています。(井戸)

Werner Heisenberg(ヴェルナー・ハイゼンベルク)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF

P.8
Hans Ulrich Obrist:ハイゼンベルクはあなたの先生でしたか?

Yona Friedman:ハイゼンベルクは研究会のゲスト講義者として1941年にブタペストにいた。私はまだ中学生だったが、その研究会は一般のパブリックに開かれていた。私は明らかにとても感銘を受けた。

Hans Ulrich Obrist:そして後に、どんな役割があなたのキャリアの中で科学的プレイ(はたらき)をしたのか?あなたは建築と他の多くの専門分野にわたるフィールドをスタディー(研究)した。

Yona Friedman:あなたが言うように、建築における私のキャリア、それは科学に対する私のアプローチによって形作られているが、個人的な振る舞いや行動やそのような行動の予測不可能生の根本的な重要性に基づいている。個々の行動は彼ら自身でさえも完全に予期できない。しかし、これはこのような予期できない行動が決め手とはならないことを意味してはいない。(→つまり予期できないことが決め手になりうるということ。)建築のフィールドが関係したことで言うと、プラン(平面)は統計学的フィクション(捏造、虚構)にすぎない。

→ハイゼンベルクの不確定性原理を結びつけてしまう。(井戸)