Hans Ulrich Obrist & Yona Friedman
The Conversation Series 7

Yona Friedman(ヨナ・フリードマン)
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You Tube(Yona Friedman)
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Hans Ulrich Obrist(ハンス=ウルリッヒ・オブリスト)
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You Tube(Hans Ulrich Obrist)
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P.13
Yona Friedman:今もしあなたが都市のある人の行動を観察するのであれば、私達は彼らの道程を観察できるのみだ。それは必然的に線形のパースペクティブ(見方)である。線形でない道程を想像することは不可能だ。これらの道程は、もしあなたがそれらを観察しそれらのすべてを知れば、高度に複雑化される。しかし誰もそれらの複雑さの理由を知らない。

P.14
Yona Friedman:私はテレビでニュースを見、そのイメージの背景では誰も見ることなく街路を横切る人がいる。私は彼が何をしているのか見たが、私は何故彼がそれをしているのか分からなかった。私にその答えを与えることができる理論はない。さらに言えば、私達はその男自身が何故それをしているかを知らないと仮定することができる。私が言っていることは、19世紀あるいは20世紀にでさえ信じられていたものに反して、理論的に説明できない個人の行動があるということだ。私にとって、すべてを理解することができる知性はない。これは都市が何の様になるだろうかとか、あるいは如何に住民はその都市を使うのだろうかということを予測することができるルール(法則、物差し)なんてないことを意味している。つまり如何なる与えられた時間(時代)でも変化できる唯一の一般的なガイドライン(指針)だけがある。そしてこれは私達が「ハードウェアー」を可能な限りソフト(柔軟)にするべきアイデア(考え)を導く。それは私のモバイル・アーキテクチャー(動く建築)の理論だった。ハードウェアーは順応性があるべきだ。私が過去50年以上作ってきたすべての模型とドローイングにおいて、私はそれらが各々の居住者が彼あるいは彼女の個人的なそして気まぐれな方法でニッチを形作ることから起こる不規則性に奉仕しあるいは視覚化するようにさせることに集中しようとしてきた。私の人生で二度、現実の人々に、彼ら自身の方法で、私が彼らに助言したりあるいは説得することなしに、彼らの仕事場についての彼ら自身のアイデア(考え)を考えさせ、彼ら自身をより理想的に集合的なプラン(計画)に適合させるために、現実の生活の中でこのケースを試す機会を得た。彼らが考えたオブジェクト(もの、客体)は20年前に実現され、それはそれ以来そこで働いてきたすべての新しい世代とともに絶え間なく変化してきた。

Hans Ulrich Obrist:私達はあなたの実現された作品に殆ど触れることがなかった、Museum of Simple Technology(単純な技術のミュージアム)(マドラス、インド、1982-1986年)の様に、それは彼ら自身の住居を改良するために貧困層によって専有され得た建築技術をデモンストレーションする小屋の様なユニットのクラスターとしてデザイン(計画)されたものだった。

P.17
Hans Ulrich Obrist:私達はみんなインドから都市計画について多くを学ぶことができるとあなたは言った。

Yona Friedman:都市の中で周辺地域あるいは第三世界について興味深いことは、所有地のシステムは、社会全体の組織と同じく、よりもっと融通性があるということである。トルコ帝国では、あなたが木を植えればその日影の土地はあなたのものであり、それは土地は支払いなしで獲得され得るということを意味する。これはイスタンブールの周辺地域で起こることだ。人々は木を植える。あなたはどれだけ木が高くなるかを見ることによって近隣がどれだけの広さに及ぶかを確定することができる。所有地のそのルール(規則)はこれらの場所で異なる。それらは事前に計画されたものでも抽象的なものでもない。私達のシステムの所有地は抽象的である。紙の上のドローイングをともなった紙切れがある。つまりこの所有地の紙がすべてを説明する。第三世界では、所有地はよりもっと具体的で物質的である。