Yona Friedman
Pro Domo
Actar

Yona Friedman(ヨナ・フリードマン)
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You Tube(Yona Friedman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Yona+Friedman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.141
これはプロセス的な建築の最も単純なタイプである。
しかし「プロセスの建築」は別のフォーム(形態、形式)を取りうる、そこでは「アイデア(考え)を想像する者」と「使用者」とついには「職人」も、また、同じ人である。
このタイプの「プロセス建築」は実行するのは容易なように見え、それはアイデア(考え)を想像する者や使用者や職人に必要な知識が同じ人によってマスターされる状況でのことである。
これらの3つの知識の分野は完全に異なっている。各々の分野はそれ自身の言語を含意している。
私達はこのタイプの「建築的なプロセス」を計画の「スーパー・マシーン」と呼ぶだろう。

P.142
これらの二つのタイプの建築的プロセスを比較してみよう。単純な「プランニング・マシーン」はしばしば実際の使用者を満足させない。
しかし「プランニング・マシーン」をともなったプロセスは、とても容易に従事する。
二番目のタイプのプロセス、「スーパー・マシーン」はそれが驚くべき結果を導きうるにもかかわらず未来の使用者をあまり失望させない。

Merzbau(メルツバウ)
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しかし「スーパー・マシーン」は「ブラック・ボックス」に成りうる。そのプロセスの段階を思い出すことは難しい。
「プランニング・マシーン」のプロセスが使用者を失望させ、その使用者は想像された(推測された)失敗でさえ建築家を非難すると経験は示している。
「スーパー・マシーン」のプロセスは、もし使用者がすべての決定が彼一人によって為されるということを信じるときのみ、使用者を満足させると経験はまた例証している。

P.143
この様に「建築のプロセス」は暗黙のうちに示され透明でなければならない。使用者は彼が何をしているかを理解しなければならない。
「建築のプロセス」によって提起される問題は多くの他の分野の中のプロセスによって提起される問題と同じである。それらを考察してみよう。
最初のステートメント(言明):プロセスはその歴史以外の他の如何なる方法では記述されえない。
プロセスはいつも複雑な道に従うが、必ずしも複雑なものではない。あたえられたモーメント(瞬間)でのプロセスの状態は次のモーメント(瞬間)の状態をはっきりとは決定しない。
系:原因となる関係性はそのプロセスを明確に記述するのは十分ではない。
2番目のステートメント(言明):プロセスを生み出すルール(規則、法)はそのプロセスの道を確定するのには不十分である。

P.144
如何なる数字も1をn回加えることによって生み出されうるが、このルールはこのように生み出された数の特性を指し示さない。
3番目のステートメント(言明):数学的に等しいことはあるプロセスを記述するのには不十分である。
ある例を取り上げると:2×2=4は、プロセスを記述するためには必ずしも4=2×2と同じではない。
別の例として:紙の上の、E=mc2はmc2=Eだが、プロセスにおいては、一方は可能で、他方は可能でない。
だから、あるプロセスはルールを通して記述されえない。あるプロセスの完全な記述はその「歴史」によって排他的に保証される。異なったプロセスの「歴史」はしばしば類似している。
構造上異なったプロセスの歴史の間の類似は特別なプロセスの記述として仕えうる。

P.145
「建築のプロセス」は他の多くのプロセスと似ている。それはその歴史を通して最も記述される。「建築のプロセス」の現実の「歴史」はかなり多くの段階を含む。
プロセスの主役(使用者、隣人、専門家、職人、法律家、等々)は彼らが実際にひき起こす効果を彼ら自身知らない。
これらすべての影響、議論、ほのめかしに意識的であることは重要だ。もしそのプロセスがコンピューターに支援されていたら、コンピューターはそのプロセスのすべての段階の記録を保つもとができる。
最後の言として:「建築のプロセス」は現実の建物で終わらない。それはその建物が使用されている限り続く。
「プロセスの建築」はゆっくりしていて時間を消費する。それは数世代続き得る。そのようなプロセスの完全な歴史を知ることは私達を新しい建築へと導き得る。