昨日は、キリンプラザでの長島有里枝×後藤繁雄トークを聞きに行く。司会が下手。
記憶からの作品だが、感情は脳のどういう働きから出てくるのかいまだに不明らしい。
理性や感情はそうするとたんなる信仰なのか?
信じているから存在するのかもしれない。理性や感情は実は存在しないということをそもそも把握できないものかもしれない。
展示自体は、僕自身は最近写真展なんかを見るようになったのでいいなあと思ったけれど、友人いわくあまりよくないようだ。
宮本さんの展示は展示がよくないと思った。宮本さんの作風にはちかいんだろうけど・・・。
ノマルでの今村源展オープニングにいってみた。
美術評論家の方の「自己批評がない作品はだめ」という言葉。
建築の世界って宗教みたいなもんだ。巨匠の本は教典で、その解釈なんかで宗教論争しているようなもんだ。
一神教のひともいれば多神教のひともいる。あらたな解釈を試みたといって現世での自身の利益に結びつけようとする人もいる。
それがこの今の人間の世界そのものであり、哲学だといっても宗教の範疇からは所詮でられない。(通常は宗教は哲学の中にふくまれるといわれるのだが、あえて・・・)