Thomas Ruff
Skira

Thomas Ruff(トーマス・ルフ)
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http://artphoto-site.com/story93.html

P.57
Isabelle Graw:彼らは相応しい方法で(re)present(表現、(再)提示)されたいのだが、サブジェクト(被写体)と、何がよい写真を作るのかというあなたのアイデア(考え)との間には、緊張(均衡、対立、張力)がある。「ポートレイト」でやり遂げた(優った)のは「ルフの方法」であり、それはつまり各々の人物が「ルフの人々」の一人になることであり、彼らが相応しく表現されたかどうかという問題は消えてしまった様に思われる。

Thomas Ruff:それは正しい。この頃私は、伝統的なセンス(感覚、意味)でポートレイトを作ること、つまり「キャラクター(人物、特徴、性格)を表現する」ことは可能であるとは思わない。または私はいずれにしてもそれをしたくはない。これは私が何故ポートレイトを模倣するかという理由である。それでもなお、私の写真には「現実」の十分なドーズ(量、添加物、性病)がある。レンズの前にはリアルな(現実の)世界に属している何か、つまり、ある人物、彼らの耳や、口や、鼻や、シャツや、髪型がいつもあった。私の写真は「absolute(絶対的な、純粋な、確かな、実際の)」ポートレイトと人為的なアレンジメント(配置)の間を行ったり来たりする。あるオブジェクト(もの、客体)のショットは実際的に(独断的に)色彩の(色鮮やかな)フィールドとともに抽象絵画へとそれ自身をひっくり返すことができる。

Isabelle Graw:なぜあなたはあなたのサブジェクト(被写体)に真面目に(真剣に)見えるようにや、口を閉じたままでいるように要求するのですか?

Thomas Ruff:私は私のサブジェクト(被写体)に、可能な限りノーマル(普通、標準、典型)な表情とともに、ノーマル(普通、標準、典型)に見えてほしい、それで結果として生じた写真は「ノーマル(普通、標準、典型)」だ。各々のセッションは少しゲームの様だ。例えば、私はこう言うだろう、「頭をより高く保って、笑わないで、口は閉じて」、そして彼らはそうするだろう。同時に、私は彼らをおかしく見えるようにはしないというセンス(感覚、意味)で、私はその人を尊重しようとしている。

Isabelle Graw:あなたの写真と、あなたが所謂「ベッヒャー・スクール」の過去の学生として連想によって結びつけられるものを伴ったドキュメンタリー(記録資料)写真の伝統との間に、根本的な差異がある。

P.58
Isabelle Graw:ドキュメンタリー(記録資料)写真家達は真実を調査し彼らの作者としてのプレゼンス(存在、現前性)を背後に追いやりたい、ところがあなたはあなた自身を作者として表現し、たとえそれが真実に基づいていても真実とは殆どあるいは何も関係がない人為的な写真を撮る。

Thomas Ruff:「ベッヒャー・スクール」とドキュメンタリー(記録資料)写真は一般的に表現(表象)を、つまり直接で、じかのイメージを信じている。ドキュメンタリー(記録資料)写真家が家を撮る時、彼らは家を撮影したと確信している。私は表現(表象)を信じないが、しかしイメージの中では信じる、そして私は私がオブジェクティブ(客観的)であると言うことができない。すべての表現(表象)は現実の中のサブジェクティブ(主観的)な介入に等しい。それは程度の問題であり、変わるかもしれない介入の強度である。

→写真(や映像)は現実を切り取る(トリミング)する以上、直接で、じかの現実を伝えない。その時点でバイアス(作者の主観)がかかる。これは私達が言語を取得することによって、直接で、じかの現実(ラカンの現実界)から永遠に遠ざかることと同じことだ。しかし、それによって構造ができ、解釈や想像ができるようになる。それが今の現実と思われている想像界である。ニーチェの言うように真実はなくあるのは見方(解釈)だけだ。
またロラン・バルトの「作者の死」や「零度のエクリチュール」とも比較してみたい。
ルフの作品群は、リヒターの「アトラス」とはどう違うのだろうか。(井戸)

Bernd and Hilla Becher(ベルント アンド ヒラ・ベッヒャー)
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Gerhard Richter(ゲルハルト・リヒター)
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Jacques Lacan(ジャック・ラカン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%AB%E3%83%B3
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80