Robert Smithson:The Collected Writings
Edited by Jack Flam
University of California Press

Robert Smithson(ロバート・スミッソン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Robert+Smithson&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
美術家の言葉(ロバート・スミッソン)
http://www.b-sou.com/palw-Smithson.htm
YouTube(Robert Smithson)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Robert+Smithson&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
Michael Heizer(マイケル・ハイザー)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Michael+Heizer&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
Dennis Oppenheim(デニス・オッペンハイム)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Dennis+Oppenheim&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5

P.248
RS:私は最近、先カンブリア時代から白亜紀の時代までカバーした「ストラタ(層)」と題した論文(記事)を書いた。

P.249
RS:私はそれをフィクション(虚構、でっちあげ)として扱った。科学は取り組むが、そう、しかし何の目的の為なのか?10億ドルの助けをかりて月の砂をかき乱すことか。私は時間のすべての側面により興味がある。そしてまたあなたがそのサイト(敷地)で得る経験にも興味があり、それはあなたが現実の持続(時間)の物質性(物理性、身体性)に直面する時である。パリサード(柵)をノン・サイトへ持ってゆけ、つまりあなたはそのグラウンド(地面)の中に埋め込まれたトロリー(高架移動滑車)の軌道や、何か他の痕跡を見付ける。すべての技術は理想的な構造の中へ積層されるマター(問題、物事、重要性、物質)である。科学はアイデア(考え、観念)の溶岩流の中のぼろ小屋である。それはすべて塵に帰らなければならない。月塵(月の土壌の細かな粒子)もおそらく。

→科学も近代的な形而上学=宗教であるが、荒川修作+マドリン・ギンズは、近代の形而上学に対するニーチェ、ドゥルーズの「生命」「自然」の復権ばかりでなく、アフォーダンスも影響しているように思う、ロバート・スミッソンのこの持続(時間)への関心はドゥルーズのベルクソンの解釈にも繋がるのではないか。
「持続とは自己に対して差異化してゆくものである。物質は、反対に、自己に対して差異化しないもの、自己をくり返すものである。」ドゥルーズ
「あらゆる純粋な現在とは未来を侵食する過去のとらえ難い進行」ベルクソン
この「持続」ばかりでなく、「自然」、「地層」、「地図作成」等ドゥルーズのキーワードがスミッソンと繋がっているように感じる。同時にこの「地層」はフーコーにも繋がって行く。
「地図は開かれたものであり、そのあらゆる次元において持続可能なもの、分解可能、裏返し可能なものであり、たえず変更を受け入れることが可能なものである。それは引き裂かれ、裏返され、あらゆる性質のモンタージュに適応し、個人、グループ、社会形成などによって着手されうる。それを壁に描くのもいいし、芸術作品として捉えるのもよく、政治的行動あるいは瞑想として構築するものいい」ドゥルーズとガタリ
(井戸)

LB:ボブ(ロバート・スミッソン)、何故私達はあなたのピース(作品)の一つについて話さないのか、例えば、モノ湖にあるものとか。

RS:わかった、モノ湖のノン・サイトね。マップ(地図)はとてもつかまえどころのないものだ。このモノ湖のマップ(地図)は、あなたに如何にどこにもないところを得るかということを語るマップ(地図)だ。モノ湖はカリフォルニアの北部にあり、私はそこに大量のシンダー(石炭の燃え殻、スラグ、噴石)と軽石や純度の高い粒状のマテリアルがあったからこのサイト(敷地)を選んだ。その湖はそれ自身塩の湖だ。もしあなたが、そのマップ(地図)を見るならば、あなたはそれがマージン(余白)のシェイプ(形)の中にあり、それは中心を持たないことを見るだろう。それは実際にフレーム(枠組み)だ。そのノン・サイトそれ自身はブラック・ポイントと呼ばれている場所で、湖の岸辺の周りで集められた軽石とシンダー(石炭の燃え殻、スラグ、噴石)を含んでいる四角い溝である。このタイプの軽石はその地域全体の固有の(原産の)ものである。

LB:正確にはノン・サイトのあなたの概念は何?

RS:ノン・サイトである中心の焦点がある、つまり、そのサイト(敷地)はあなたの心がその境界と言わば広大に広がっているものの感覚を失う焦点のあってないフリンジ(周辺、二次的なもの)である。私は起こっている静かなカタストロフィー(大災害)のアイデア(考え)が好きだ・・・。そのサイト(敷地)について興味深いことは、ノン・サイトの様でなく、それがあなたをそのフリンジ(周辺、二次的なもの)に投げ出すということである。他の言葉で言えば、そのシンダー(石炭の燃え殻、スラグ、噴石)を除いては捉まえる(理解する)ものは何もないし、特別な場所に焦点を合わせる方法がないということである。ある人はこうも言うかも知れない、その場所は逃亡された、あるいは失われたと。これは、あなたを何処かへ連れて行くだろうが、しかしあなたがそこに到着したときあなたは本当にあなたがいる場所を知らないだろうマップ(地図)である。そういう意味(感覚)で、ノン・サイトはそのシステムの中心であり、そのサイト(敷地)それ自身はフリンジ(周辺、二次的なもの)あるいはエッジ(縁、境目)である。私がこのマップ(地図)のマージン(縁、余白)の周りを見ると、私は大牧場や、硫黄の池と呼ばれる場所、つまり、滝とか貯水池、軽石という言葉を見る。しかしそれはみんなとてもつかまえどころのないものだ。海岸線はあなたに岸辺のシンダー(石炭の燃え殻、スラグ、噴石)について何も語らない。あなたはいつも二つの世界の間で捕捉される、一つはそうであり、一つはそうでない。

→ロバート・スミッソンは人間と木が一体になった様なドローイングも描いているが、ドゥルーズとガタリの自然と人工の区別を行なわない考え方を思い浮かべる。
「ここでは自然-人間の区別も存在しない。(中略)自然は、人間を生産するとともに、人間によって生産されるものである。人間は万物の王者ではなく、むしろ、あらゆる形態やあらゆる種類の深い生と接触し、星々や動物さえ引き受け、〈器官機械〉を〈エネルギー機械〉に接触することをやめず、彼の体の中には樹木があり、口の中には乳房、尻の中には太陽があり、人間には宇宙のさまざまな機械を永遠に担っている。(中略)自然と人間は、相互に対面する二項のようなものではなく、むしろ唯一の同じ本質的な実在であり、生産するものと生産されるものは一体をなしているのだ。プロセスとしての生産は、あらゆる観念的なカテゴリーをはみだすものであり、欲望を内在的原理として一つのサイクルを形成している。」ドゥルーズとガタリ
(井戸)