Richard Serra
The Matter of Time
Steidl

Richard Serra(リチャード・セラ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Richard+Serra&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Richard Serra)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Richard+Serra&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
美術家の言葉(リチャード・セラ)
http://www.b-sou.com/palw-Serra.htm

Holocaust Memorial Berlin(ホロコースト・メモリアル、ベルリン)
→ピーター・アイゼンマンとリチャード・セラのコラボレーション。(井戸)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Holocaust+Memorial+Berlin&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Holocaust Memorial Berlin)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Holocaust+Memorial+Berlin%0D%0A+&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.47
Richard Serra:だいたいその頃、私は描き始めた。それは私の両親共に支えてくれた内的な生を養った営みだった。毎晩夕食後私は、第二次世界大戦の戦闘シーンや、私の寝室の窓から見える海に浮かんでいる漁船や、すべての種類の動物(私達の家は動物園から半マイルの広がる砂丘の中に建っていた)の鉛筆画をしていたものだった。個人的な歴史(過去)は主観的だ。それは、それが生きてきたものや、それが見てきたものや、それが知っているものを実証(裏付け)しようとする。あるセンス(感覚、意味)で、私達が歴史(過去)を理解することはいつも自叙的(自伝的)である。起源(原因)は、たとえ私が何をしようとも、私達みんなにとって源泉として重要だ。幼い頃のドローイングの喜びは、私に私の可能性(潜在性)の中に信念(信仰、信義)を持つためと、想像と発明(捏造)(個人的な考えが紙の上に走り書きした(わけのわからないことを書いた))が、知(知覚、認識)の道具(手段)だったことを理解するための確信(信頼)を与えた。
 この点で先駆者は存在しなかった。作ることは媒介されなかった。私が強調しなければならない唯一の人物は私自身だった。私が個々のドローイングに与えることができた集中した努力は、私に自己(自我)のセンス(感覚、意味)を与えた精神の(心的で、知的で)フィジカル(自然的、物質的、物理的、身体的)な場を提供し、私は何かがそれから生じるだろうと信頼していた。強化、私の両親からのポジティブ(肯定的)な応答、先生、クラスメイト達は、私が求めた促進(激励)だった。私が受け取れば受け取るほど、ますます私の要求は増加した。認識(認知、承認)はモチベーション(動機付け)になりうる。私はドローイングが他言語で書くことの様だとわかった。私は、たとえ私がその限界と慣習に気付いているとしても、ドローイングがひとつの手段として不適当であると思ったことは決してない。それは私が取り組む最も意識的な空間である。
 知覚を統合する多くのモード(様式)があり、それらは絶えず優先度の中で変化する、世紀毎に、もし10年毎でなかったら。つまり、ドローイング、写真、模型制作、執筆、ビデオ、映画制作、絵画、彫刻、光学、数学、言語、コンピューター生成デジタルイメージ、あるいはこれらの幾つかやすべての組み合わせ。まさに美(芸術)のための絶対的なスタンダード(規範)がない様に、正しい進行(手続き)はなく、定性的な規定(規範、処方)もなく、安定した(確かな)戦略もない。しかしながら、レディーメイド(既製品の転置)の継続中の増殖(拡散)で明らかな様に、特定のアイデア(考え)が支配する時、歴史の中に時代がある。デュシャンのレディーメイド(既製品の転置)の提出は最初のうちは伝統的なセンス(感覚、意味)でメディウム(媒体)のスペシフィシティー(特異性、限定性)に挑戦していた。しかしながら、この点で時間の中で、そのファウンド・オブジェクト(見つけられたもの・客体)の使用は保守的な(伝統的な)慣習になってしまった。

→まさに、デザインや建築では、レディーメイドやファウンド・オブジェクトは、規制の枠組みから逃れるためでなく、「~のために」という人間中心主義的な価値観の中に、再び「味付け」や「ファッション」としての「ウィット」として囲い込まれるという、集団的で無意識な力(権力)が無数にある。デザインや建築は「生の権力」システムなんだから当然だけれど。「デュシャンとの対話」でデュシャン曰く「芸術家が自分は何かをつくる義務があると信じるとか、大衆に尽くすべき義務があるとかいう社会的役割を芸術家に割り振るなんて、私はしません。」、セラもインタヴューで「何かのためになるのであれば、それはアートではない。」と言っていた。(井戸)

Marcel Duchamp(マルセル・デュシャン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3
http://www.google.co.jp/search?q=Marcel+Duchamp&hl=ja&biw=1593&bih=831&prmd=ivnsb&source=lnms&tbm=isch&ei=5k_kTdWRM4WavAPP7YDuBg&sa=X&oi=mode_link&ct=mode&cd=2&ved=0CBEQ_AUoAQ
Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Kazimir+Malevich&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
Charles Sanders Peirce(チャールズ・サンダース・パース)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9
Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Noam Chomsky(ノーム・チョムスキー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
Edmund Husserl(エトムント・フッサール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%AB
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Claude Lévi-Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Carl Gustav Jung(カール・グスタフ・ユング)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%B3%E3%82%B0
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7