Richard Serra
The Matter of Time
Steidl

Richard Serra(リチャード・セラ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Richard+Serra&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Richard Serra)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Richard+Serra&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
美術家の言葉(リチャード・セラ)
http://www.b-sou.com/palw-Serra.htm

P.44
Richard Serra:歴史的なイメージや、イコン(像)やシンボル(象徴、記号)に戻ることは、錯覚に基づく(錯覚を起こさせる)概念や、時代(景気)が今よりもよくて、アートがより意味を持っていた古き良き時代へのノスタルジック(懐古趣味的)な憧れに基づいている。今日リアル(現実)が過去の中古の表現以外のなにものでもない時に、ノスタルジア(懐古趣味)は完全な意味を当然なことと決め込む。スタイル(様式)や、主題(内容)や、歴史的なイコン(像)や、正統性(確実性、権威性)はすべて楽に入手できる。私は、ポストモダニズムの目障りな問題の一つはそういった想像力それ自身が有用品に減じられ(還元され)てきたことを加えたい。ゼロックス(コピー)の歴史だ。
 20世紀の彫刻の歴史の中で最も大きな分岐点(変化、断絶)は台座を取り除いたことだった。台座の上に彫刻を置く歴史的な概念は鑑賞者の振る舞いの空間からの分離を確立するためだった。「台座に載せられた」彫刻は、理想化され(イデア化され、観念的に扱われ)メモリアル化(記念)されあるいは賛美されたテーマ(主題)に鑑賞者を服従させることによって、必ず力(権力)の効果を伝える(転写する)。アートが他の価値に奉仕するよう強いられるかあるいは勧めてさせられるかするやいなや、アートはそれ自身の必要性に奉仕することをやめる。アートからその無用性を奪うことは、アート以外のものを作ることである。
 私は、非実用(非功利)主義的で非機能的な彫刻に興味がある。如何なる使用も誤用である。抽象芸術を社会的に直接的に関係しないものとして身分を落す今の時代の風潮がある。私はアートはアート自身の外部の如何なる正当化も必要とするとは今まで一度も感じたこともないし、今も感じていない。ただ「誰かに役立とうとする(奉仕しようとする)」これらのアーティスト達や建築家達の胡散臭さのみであり得る(ボブ・ディランのイエス・キリスト資本主義的神学)。私は、詩や実験映画の場合の様に、彫刻の為の観客はいないと知っている。しかしながら、人々に彼らが欲しいものやおそらく(想像上)必要としているものを与え、彼らに彼らが理解する以上のものを与えようと試みないプロダクト(制作物)には多くの観客がいる。マーケティングはこの前提に基づいている。ウォーホルは商業企業としてのアートのマスター(支配権を持つ人、勝者、達人)だ。誰も彫刻あるいは詩が外部からの操作(巧妙な取り扱い、あやつり)に抵抗することを要求するものはいない。それどころか、人がその人のことば(ことばづかい)を商業的な興味により売り渡せば売り渡すほど、権威(権力)の中のそれらはその人の努力(活動)に報いるだろうという可能性はより大きくなる。
 私は、もし彫刻が本当に可能性(潜在性)を持っているとしたら、彫刻はそれ自身の場所と空間を創造し、創造されたその場所と空間と正反対にはたらく(作用する)可能性(潜在性)を持つと思う。私は、アーティストが、それ自身の場所を発生させる、あるいはそれ自身の状況を作る、あるいはそれ自身のエリア(領域)を分割し宣言する「反-環境」の制作者である作品(取り組み)に興味がある。

→「地球のため」とか、「エコのため」とか、「地域のため」とか、「子供達の未来のため」とか、これらは人間中心主義的な生権力の現われである。「子供達の未来のため」、昔はこの理由で魔女狩りという集団殺人も行われたのだろう。その当時の共同体の人たちは死ぬまで自分たちがやったことは「正義」だったと疑わなかっただろう。
耳障りの良い言葉ほど、集団の中にいる安心による思考停止という恐ろしさが隠れている。
最近アートも「何かのために使われることが良い」とされることが蔓延しつつある。これは集団的無意識による善悪の判断だ。
アートと違い、デザインや建築は基本的に生権力に奉仕するという前提がある。
一つは脱構築によってその「合目的性=(真実、正しい)」に対して「不在」を現象させるという方法もある。
コールハース曰く「あなたは道徳(倫理)の傲慢で何をするというのか?」。(井戸)

Bob Dylan(ボブ・ディラン)
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Andy Warhol(アンディー・ウォーホル)
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Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
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Edmund Husserl(エトムント・フッサール)
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Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
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Claude Lévi-Strauss(クロード・レヴィ=ストロース)
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Roland Barthes(ロラン・バルト)
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Carl Gustav Jung(カール・グスタフ・ユング)
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Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
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Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
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Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
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