Richard Serra Sculpture 1985-1998
The Museum of Contemporary Art,Los Angeles
Steidl,Gottingen

Richard Serra(リチャード・セラ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Richard+Serra&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Serra
You Tube(Richard Serra)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Richard+Serra&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
美術家の言葉(リチャード・セラ)
http://www.b-sou.com/palw-Serra.htm

P.195
RS:私はマテリアルのサブスタンス(物質、実質、実在)への翻訳(解釈、変質)を必要とする、それなしでは私はフィジカル(物資的、身体的)な経験の重要性を否定するだろう。だからそれは多くの価値がある。
私は私達が最初の内に言っていたことは真実だと本当に思う、つまりそれはアートの作品へと入って行く思考は存在するオブジェクト(もの、客体)、あるいは存在する彫刻、あるいは存在する絵画、あるいは存在する如何なるフォーム(形態、形式)の表明(顕示)においても大抵認識できるものであるということである。そして私はそれが人がアートの作品との「ダイアローグ(対話)」へと入って行くところであると思う。一つのレベル(水準)で。私にとって、それはいつも最も興味深いレベルだった。しかし私は如何に他の人々が異なった仕方(方法)で応答し、作品にとても異なって近づくのかを理解することができる。それはそんなに私に興味を抱かせない。

DS:あなたは初期のインタヴューで言った(それは1973年のことであるが)、そして私はあなたはそれを再び今言っていると思う、それは「私が決定したことは、たった今私が私の作品の中でしていることはスペシフィックな(特定の)意図とはなんの関係もないということである。」そしてインタヴュアー(聞き手)が言った、「あなたはいったい何を意味しているのか?」。そしてあなたは言った、「もし私が作品を定義し(意味を明確にし)定義(定義づけ)や与えられた私の意図の境界線の中にそれを要約すれば、それは私への制限であり、他の人々が如何に作品について考えるかということに対する賦課の様に思われる。
最後に、それは私の活動あるいはアートとは完全に関係がない。私は作品の重要性はその努力(活動、作用力)の中にありその意図の中にはないと思う。そして努力(活動、作用力)は心の状態であり活動であり、世界との相互作用である。」と。

RS:はい。私はそれは正しいと思う。私はまだそれを信じている。私はそれを信じているんだ。

P.197
DS:私が回転させられた(ねじられた)楕円を造船所で見た後それらについて私達が話していた時、それらは近くに垂直の壁が必要だから、それらは室内で見られる必要があるとあなたは完全に確信していました。そして今私はそれら3つを室内で、Diaセンターで見て、私は如何にあなたが正しかったかを知った。あなたはあなたが未来にしようとしている回転させられた(ねじられた)楕円で屋外の作品になるものもあると確信できますか?、あるいはあなたはそういう言語とともにあなたはいつも垂直の壁によって包含されるべきものを必要としようとしていると感じますか?

RS:私はDiaのインスタレーションでそれは2つの方法に切り分けられると思う。垂直な壁はあなたがそのヴォリュームの外部、傾きの角度を読むのを助ける。他方で、天井のトラスの交差した斜材は頂部の楕円を読むことを邪魔(干渉)する。私達がベース造船所の屋外にそれらを置いた時、起こったことは空がまぶたのように振る舞ったということである。それはヴォリュームをより包含させられ容易に認識できるようにした、何故ならそれが回転するにつれて楕円の回転を読むことはより容易だったからだ。Diaでは、それはするにはよりもっと困難だった。もし問題のある何かがそこにあれば、それは交差した斜材であり、おそらく木の色と2つのサンドブラストされたピース(作品)の色の間の類似性である。木と鉄はお互いに溶け合う傾向があり、それはさらに頂部の楕円を読むことを複雑にする。Diaでの他の問題はその空間が少しだけ幅が広かったらということだ。あなたが入って行くとき左側の最初のピース(作品)、それ自身に対して直角なピース(作品)は、船首の様に読める切り込みの反対側に一つの側面を持っている。実際にあなたの頭の上を舞っているそのピース(作品)のその側から離れることは不可能だ。おそらく、もしその空間がもう少し幅が広く、天井がそんなにもごちゃごちゃしていなかったならば、それはより良かっただろう。しかし私がこれらのピース(作品)が屋外で作用すると思うかどうかというあなたの質問に答えると、つまりある状況の下でのみであり、それは包含された空間や、おそらく中庭であるべきだろう。

→「マテリアルのサブスタンスへの翻訳」ではハイデガー、またバルトの意味作用や神話作用からの離脱、意味の宙吊り、それによって感覚を開くことを思い出す。定義付けをしないということ、カントのアンチノミーで「世界」が有限であるか無限であるかという命題において、世界はただ「indefinite(不定的に)」与えられるということを思い出す。不確定性や曖昧性は今で言うと偶有性であるが、ジョン・ケージやメルロ=ポンティーを思い出す。(井戸)

Martin Heidegger(マルティン・ハイデガー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Immanuel Kant(イマヌエル・カント)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88
John Cage(ジョン・ケージ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80