Richard Serra:Writings Interviews
The University of Chicago Press
Chicago and London

Richard Serra(リチャード・セラ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Richard+Serra&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Richard Serra)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Richard+Serra&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
美術家の言葉(リチャード・セラ)
http://www.b-sou.com/palw-Serra.htm

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=UTF-8&q=Peter+Eisenman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Holocaust Memorial Berlin(ホロコースト・メモリアル、ベルリン)
→ピーター・アイゼンマンとリチャード・セラのコラボレーション。(井戸)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Holocaust+Memorial+Berlin&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube(Holocaust Memorial Berlin)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Holocaust+Memorial+Berlin%0D%0A+&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.148
PE:あなたはポロックの作品を参照して「ノンコンポジショナル(非構成的)」という言葉を使いましたね。

Jackson Pollock(ジャクソン・ポロック)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=CSc&q=Jackson%20Pollock&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

P.149
RS:ポロックの部分にはヒエラルキー(階層)がない。例えば、お互い(の形態)とフレーミング・エッジ(枠の縁)とのコンポジショナルな(構成的な)関係の中でグラウンド(地)の上にフロート(浮ぶもの)を形成するマレーヴィチの様に存在するような、コンポジション(構成)に関しての全体に対する部分の関係がない。より直接的に関係のある(適当な)ヨーロッパのコンポジショナルな(構成的な)伝統の他の例がある、それはマティスや、キュビストや、モンドリアンの作品だ。

Kazimir Malevich(カジミール・マレーヴィチ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Kazimir+Malevich&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
Henri Matisse(アンリ・マティス)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=MP5&q=Henri%20Matisse&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Cubist(キュビスト)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=Okk&q=Cubist&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Piet Mondrian(ピエト・モンドリアン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=Tlk&q=Piet%20Mondrian&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

PE:あなたの「ベルト」のピース(作品)はノンコンポジショナル(非構成的)なアイデア(考え)に基礎を置いている様に思われ、あなたがそれらから十分に遠くに離れた時のみ全体のイメージが現われる。私にとってはそれは、興味深い建築のコンポジション(構成)の要素、つまりベイ(仕切り、区画)や、柱や、窓ではなく、それらの間にあるものである。同様に、「ベルト」においては一続きのストラクチャー(構造)である様に思われ、始まりも終わりもなく、そして重要な考慮するべき事柄は要素ではなくそれらの間の空間、つまりネガ(反転した空間)、ヴォイド(空隙)である。

Richard Serra 「belt」
http://www.guggenheim.org/new-york/collections/collection-online/show-full/piece/?search=Richard%20Serra&page=1&f=People&cr=1

→ブルース・ナウマンやレイチェル・ホワイトリードの反転した空間の作品を思い出す。(井戸)

Bruce Nauman ”A Cast of the Space Under My Chair” 1965ー68年
http://homelessmonalisa.darq.uc.pt/sampling/BNauman.RWhiteread/BruceNauman.RachelWhiteread.htm
Rachel Whiteread(レイチェル・ホワイトリード)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Rachel+Whiteread&lr=&um=1&sa=N&tab=wi

RS:ノンフィギュラティフ(非具象的)だけれども、「ベルト」の作品は、1966-67年に作られ、構造的にポロックのアイオワ大学のペインティングと関係している。もし私の画家としての起源が何かにおいて最高点に達したのならば、それらはポロックにおいて最高点に達した。その時私はリテラルな(文字通りの)空間へ入って行く必要を感じた。

PE:あなたが入って行った開かれた空間はランドスケープの中で切り取られ、ヴォイド(空隙)ではなくてサブスタンス(物質、実質、本質)として見られるものを切り取った。これらの切り込みは何もないところからサブスタンス(物質、実質、本質)を創作しようとする。開かれたフィールドはそのインサブスタンティアリティー(実質のないこと、空虚性、非現実性)のためにそれについてのあるニュートラリティー(中性性)を持つ。幾らかの種類の切り込み、つまり壁や、線や、他のどんなものでも、が導入される時、あなたはそのグラウンド(地)にフィギュア(図)を創作しているのではなく、あなたはそのグラウンド(地)から創作し「出し」ているのだ。それは重要なフィギュア(図)/グラウンド(地)のネイチャー(性質)ではなく、サブスタンス(物質、実質、本質)にヴォイド(空隙)を与えることだ。

RS:私の標高のピース(作品)はランドスケープの不確定性(曖昧性)を示している。彫刻的な要素はランドスケープを読む為のバロメーター(尺度)として振る舞う。それらは別々の彫刻的なユニットあるいはより大きなコンポジション(構成)の一部として見られない。その全体の中でその作品の全体像を持つことは不可能だ。異なった近接の中でその作品は機能し異なって知覚される。近い距離ではそのランドスケープの標高の傾斜は一歩一歩経験される。遥か離れた距離では標高の傾斜は彫刻的な要素によって測られる。

→セラの「シフト」等の作品のことだろう。知覚の不確定性に関するものだが、しかし、これらの作品は私達の頭の中にあり制度化されたユークリッド幾何学の中で風景を相対化してしまうとも言える。そこで何か制度(ミクロな権力)の「不在」が現象するのか、あるいは意味や形式から解放された「感覚」が生じるのか、それが重要だと思う。(井戸)

Richard Serra shift
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&um=1&q=Richard%20Serra%20shift&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

PE:アクチュアルな(現実の)フィジカルな(物質的な)ピース(作品)であり、彫刻的なオブジェクト(もの、客体)はそのときランドスケープのペデスタル(台座)あるいはフレーム(枠)にならないのか?何によってそのオブジェクト(もの、客体)それ自体が今フレーム(枠)になる反転がないのか?

RS:それはその与えられた境界の中でランドスケープを定義する要素にまさになるが、しかしそれはフレーム(枠)にはならない。もしあなたが「フレーム(枠)」という語をランドスケープに関して使うならば、あなたはピクチャレスク(絵画性)の概念を含意している。