Rachel Whiteread:EMBANKMENT
with contributions by Catherine Wood and Gordon Burn
Tate Publishing

Rachel Whiteread EMBANKMENT(レイチェル・ホワイトリード「築堤」)
http://www.tate.org.uk/modern/exhibitions/whiteread/
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=UTF-8&q=Rachel+Whiteread+EMBANKMENT&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
You Tube (Rachel Whiteread EMBANKMENT)
http://uk.youtube.com/watch?v=KItB-aQOFRs&mode=related&search=
You Tube (Rachel Whiteread)
http://uk.youtube.com/watch?v=uI9xy97Cyc8&mode=related&search=
Rachel Whiteread(レイチェル・ホワイトリード)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&inlang=ja&ie=UTF-8&oe=Shift_JIS&q=Rachel+Whiteread&lr=&um=1&sa=N&tab=wi
美術家の言葉(レイチェル・ホワイトリード)
http://www.b-sou.com/palw-Whiteread.htm

P.78
Gordon Burn:私が最後に訪れた時、あなたはテートモダンを「倉庫に入れる」アイデア(考え)を持っていると言っていた。あなたがそれで何を意味していたか私は実は定かではなかった。

Rachel Whiteread:ええ、私が今まで見た中でテートのタービンホールの様に莫大で巨大な唯一の空間は倉庫だ。それがIkea(イケア)やB&Q(イギリスの日曜大工の会社)あるいは映画「レイダース/失われたアーク」あるいは映画「市民ケーン」からのイメージであろがなかろうが、それらはその規模でまさに「マッシブ(大規模)な」唯一の種類の場所である。そして、これらの箱を使うことによって、(基本的には10の異なった箱があり、それらは6つの異なった側面を持ち)、きっとそれらでこの反復をする方法があるだろうということが私の心に浮んだ。そして幾つかのとても小さいものと幾つかのとても大きなものを使うことによって、私は本当に人のスケール(規模)のセンス(感覚)で遊ぶことができるだろう。
 私はまたまさに広大(巨大、莫大)な「何か」を見つけることも考えていて、それはあまりにスペクタクル(見世物的、壮観)なので、それはその巨大な空間の中のまさに一つのものになるだろう。私はそれが何なのかわからない。私はもし誰かがそれをすることができれば、それは傑作になるだろうと思う。しかし私は確かにシアトリカル(劇的)なバージョン(翻案)以上を目指していた。テートのものは疑いなくスペクタクル(見世物的、壮観)で、シアトリカル(劇的)になろうとしていて、それはそうならなければならない。それはあの空間を扱う唯一の方法だ。そして私はその飛躍を作らなければならない。それが私がしたことだ。そしてそれが如何にそれがなされなければならないかということだ。

→シアトリカル(劇的)はマイケル・フリードを参照。(井戸)

Michael Fried(マイケル・フリード)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89

Gordon Burn:あなたはあなたが精神的に(心の中で、知力的に)箱のスタック(積み重ね)
を建てて時間を過ごしていることに気付くのか?

P.79
Rachel Whiteread:私はここでしばしばとても大きな音の音楽をかけて、まさに子供のオモチャの様にそのモデル(原型、模型)で遊ぶ。まさにこれらのものをスタックしながら(積み重ねながら)、それらをアンスタックしながら(積み重ねをやめながら)、それらのまわりを歩きながら殆ど形を取らないが(数を数えないが)、それは実際本当に楽しくて面白い。

Gordon Burn:これらのものは物質的にあなたが今まで作ってきた中で最も軽いものか?

Rachel Whiteread:はいそうだ。それらはスキン(皮膚)のつもりだ。

Gordon Burn:事実それらはそれらでない両方であるのでは?それらは保護するべきスキン(皮膚)が取り除かれた外部をともなったオブジェクト(もの、客体)の内部であり、と同時にそれら自身の中の具体的な(有形の、コンクリートの)存在(実在)の両方である。ソリッドな(固体の、中まで同一物質の)空気だ。それは積み重ねられた空間の荷重を見ることの様になっていく。そしてあなたはそれを押し倒す(ひっくり返す)ことができる。

Rachel Whiteread:ええ、私達は起こらないことに挑戦したり確かめたりしようとしていると思う。[笑いながら]

→ブルース・ナウマンの「椅子と椅子の下の空間」の実在物と空間の反転や、メルロ=ポンティーの「可逆性」、ウィトゲンシュタインの「独我論」を思い出す。
「手袋を裏返すと、指先の何もなかった空間に裏返された手袋が存在する。つまり手袋の意味は、手袋の表裏が密着した折り返し点に生成している。あらゆる物事は、内と外とが接し織りなす、リヴァーシブルな「襞」にしか存在しないのだ——。これがメルロ=ポンティの「可逆性」である。意識でも物体でもない存在として人間をとらえる「両義性」の思考を、両者の相互交流という視点から深めることで到達したこの考え方により、存在論のあらたな地平は切り拓かれた。そして哲学的反省は閉じた系として完結することを禁じられ、現象学のアクチュアリティは無限に拡大する。」鷲田清一『メルロ=ポンティ可逆性』講談社 (井戸)

Bruce Nauman(ブルース・ナウマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=UTF-8&q=Bruce+Nauman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%82%A6%E3%83%9E%E3%83%B3
Bruce Nauman ”A Cast of the Space Under My Chair” 1965ー68年
http://homelessmonalisa.darq.uc.pt/sampling/BNauman.RWhiteread/BruceNauman.RachelWhiteread.htm
Maurice Merleau-Ponty(モーリス・メルロー=ポンティ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3
Ludwig Wittgenstein(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%88%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3