Peter Zumthor
Thinking Architecture
Birkhauser

Peter Zumthor(ペーター・ツムトール、日本ではピーター・ズントーが一般的)
http://images.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&lr=&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla%3Aja-JP-mac%3Aofficial&q=Peter+Zumthor&btnG=%E7%94%BB%E5%83%8F%E6%A4%9C%E7%B4%A2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BC
YouTube(Peter Zumthor)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Zumthor&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.18
Peter Zumthor:もしその介入がその場所を見つける(出会う)ためのものであるのであれば、それは私達に既に存在しているものを明るい光の中で私達に見させるに違いない。私達は石を水に投げ込む。砂が巻き上がり、再び静まる。その攪拌(ちょっとかきまぜること)は必要だった。石はその場所に見つけられた(出会われた、認められた)。しかしその池はもはや同じではない。私はこれらの建物は、もしそれらが様々な方法で私達の感情や心(精神)に訴えかける能力を持っていれば、それらを取り囲むものによってただ受け入れられると信じている。というのも私達の感覚と理解は過去に根付かれ(起源を持ち)、建物との私達の感覚的な繋がりは記憶のプロセスを重んじているに違いないからだ。
しかし、John Bergerが言うように、私達が記憶しているものは線の終わりにたとえられない。記憶の活動の中では様々な可能性が導き出会う。イメージ、ムード(雰囲気)、フォーム(形態、形式)、言葉、サイン(記号)、あるいは類似(比喩)がアプローチの可能性を開く。私達は、同時に、歴史的に、美的に、機能的に、一個の人間として、情熱的に、異なった角度からの焦点として建築の作品(取り組み)を私達に見ることができるようにするアプローチのラディカル(根本的、急進的)なシステムを構築しなければならない。

→「世界・内・存在」、「世界に投げ込まれた存在」、「隠れていないことの中に隠れていること」、「森の中の明るみや舞台の光の下に現われること」、「本来性」等々のハイデガーの影響だろう。(井戸)

身体の中のテンション(緊張、均衡、対立)
Peter Zumthor:建築家達によって生み出されたすべてのドローイングの中で、私のお気に入りはワーキング・ドローイングである。ワーキング・ドローイングは詳細に描かれオブジェクティブ(目的的、物質的、実在的、客観的)だ。想像されたオブジェクト(もの、客体)にマテリアル(素材)のフォーム(形態)を与える職人の為に創られ、それらは結合(連合)した操作(巧妙な取扱い)から自由だ。それらはプロジェクトのドローイングの様に納得させたり印象づけたりしようとしない。それらは「これは確かに、それはどのように見えるだろうか、ということである」と言っているように思われる。
ワーキング・ドローイングは解剖学のドローイングの様である。それらは完成した建築の身体が明かしたくない秘密の内部のテンション(緊張、均衡、対立)の何か、つまり結合のアート(技術)、隠された幾何学、マテリアルの摩擦、支え保持する内部の力、人工のものの中に内在する人間の仕事を明らかにする。

→大衆(ダス・マン)によって消費されるイメージの操作ではなく、原初の「道具」としてのドローイング(詳細図)、それはまたハイデガーばかりでなく、神話作用の意味や義務や機能から、オブジェクト(もの、客体)が自由な状態、オブジェクトそれ自身がそれ自身である状態、ロラン・バルトの影響もあるだろう。(井戸)

P.19
Peter Zumthor:Per Kirkebyはかつてカッセルのドキュメンタ展の為に家のフォーム(形態、形式)で煉瓦の彫刻をした。その家にはエントランスがない。その内部には入れなくて隠されていた。それは秘密のままであり、それはその彫刻家の他の質へ神秘的な深さのアウラ(オーラ)を付け加えていた。私は家の隠れた構造と構築はそれらが建物の身体に内部のテンション(緊張、均衡、対立)と振動(精神的影響力)の質を賦与するような方法で作り上げられるべきであると思う。これはバイオリンがどのように作られるかということである。それらはネイチャー(本性、自然)の生きた身体を私達に気付かせる(思い出させる)。

John Berger
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Berger
Per Kirkeby
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&hs=FMs&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&q=Per%20Kirkeby&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
http://en.wikipedia.org/wiki/Per_Kirkeby
Martin Heidegger(マルティン・ハイデガー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88