Peter Zumthor Atmospheres
Architectural Environments・Surrounding Objects
Birkhauser

Peter Zumthor(ペーター・ツムトール、日本ではピーター・ズントーが一般的)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Zumthor&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouTube(Peter Zumthor)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Zumthor&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.19
Peter Zumthor:問題。私が私自身に建築家として置いている問題。私は知りたい、何がこの「現実の魔法」なのか、Baumgartnerによる30年代の写真である、学生の寄宿寮のカフェ(P.18)において。人は、まさにそこらへんに座っていて、彼らもまた彼ら自身楽しんでいる。そして私は私自身に尋ねる、私はそれを建築家として成し遂げられるのか、そのようなアトモスフィアー(雰囲気)を、その強度を、そのムード(気分、雰囲気)を。そしてもしそうであれば、如何に私はそれに取り掛かればいいのか?それで私は思った、そう、あなたもできる。そして私は思う、いいや、あなたはできない。そして私ができる理由は、世界には素晴らしい事とそんなに素晴らしくない事があるからである。ここで別の問題がある。音楽辞典の中の音楽学者による文である。私はそれを拡大して私達の事務所の壁に掲げてきた。私は言う、それが如何に私達が仕事に取り組んでいくかということだ!と。その音楽学者はある作曲家について書いていた、その名前をあなた方は推測せずにはおれないだろう、彼はそれをこの様に据えた、〈ラディカル(根本的、急進的)な全音階主義、力強く特徴的なリズミカルな発音方、旋律の明瞭(透明)さ、ハーモニーは明快で厳格、音色の鋭い輝き、そして最後に、彼の音楽のファブリック(織物、構造、組織)のシンプリシティー(シンプル性)と透明性、彼のフォーマル(形式的)なストラクチャー(構造)のスタビリティー(安定性、永続性)〉(アンドレ・ブークーレシュリエフ〈イーゴリ・ストラヴィンスキーの音楽文法の真のロシア精神〉より)

André Boucourechliev(アンドレ・ブークーレシュリエフ)
http://en.wikipedia.org/wiki/Andr%C3%A9_Boucourechliev
Igor Fyodorovitch Stravinsky(イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

P.21
Peter Zumthor:それは誰でも読める様に私達の事務所の壁に今掲げられている。それが私に言っていることはアトモスフィアー(雰囲気)についての何かであり、作曲家の音楽もまたその質を持ち、聞く数秒の内に私達に触れる(私に触れる)能力を持つということである。しかしそれがまた私に言っていることは、作品(取り組み)の多くの部分はその中に行ってしまって、私はその慰めを、建築的なアトモスフィアー(雰囲気)を生み出す課題はまたクラフト(技術)とグラフト(継ぎ技)に降りてくるというアイデア(思考)を見つける。プロセスと興味、インストゥルメント(道具、楽器、きっかけとなるもの)とツール(道具)は私の作品(取り組み)のすべての部分であり一群である。私は私自身に気を配っていて、今あなたに説明しようとしている、九つのとても短い章に分けて、私が物事に取り掛かる方法について私が見付けてきたものと、私が私の建物の一つの中で、あるアトモスフィアー(雰囲気)を発生させようとした時、私に最も関心を起こさせたものについて。勿論その問いに対するこれらの答えは大いに個人的である。私は他に何も持っていない。それらはまた大いに感覚的で個々的である。事実それらはおそらくそれら自身感性の制作物であり、個人的な感性であり、私に特別な方法で物事を為させるものである。

Peter Zumthor:最初の答え、そのタイトルは〈建築の身体〉だ。建築のピース(作品)において物事のマテリアルのプレゼンス(存在、現前性)、そのフレーム(構造、構成、枠組)だ。

P.23
Peter Zumthor:ここで私達はこの納屋の中に座っていて、これらの梁の並びがあり、それらは代わる代わる覆い隠されている等々。その種の物事は私には感覚的な効果を持っている。そしてそれは私が建築の最初のそして最も強度のある秘密と呼ぶものであり、それは世界の中で異なった物、異なったマテリアルを集め、それらをこの様な空間を生み出す為に結合する。私にとってそれは私達が話している一種の解剖学的構造である。事実、私は完全に実に世界を〈身体〉として意味している。それはそれら自身の解剖学的構造をともなった私達自身の身体の様であり、私達が見る事ができないものであり私達を覆っている皮膚であり、それが建築が私に意味しているものであり、それが如何に私がそれについて考えようとするかという事である。身体のマッス(塊)として、膜や、ファブリック(織物)や、一種の覆いや、布や、ベルベットや、絹や、私達の周りにあるものすべて。身体だ!身体のアイデア(考え)ではなく、身体そのものだ!私に触れることができるのは身体だ。

Martin Heidegger(マルティン・ハイデッガー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC