Thinking Architecture

P.15
ボイスやメルツや他のアーティストは個々のパーツから全体を創り出す時、しばしば空間の中にルーズなセッティングつまり、巻く、包む、重ね合わせを使用した。
全体に対する私達の知覚は、本質的でないディテールによってかき乱されない。全ての手触り、全ての連結、全ての接合部は、そこでは作品の静かなプレゼンス(現前性)のアイディアを強めるためである。

→ズントーのブレゲンツ美術館の外壁のディテールはマリオ・メルツのガラスを使用した作品の印象と重なる。(井戸)

Kunsthaus Bregenz
http://www.kunsthaus-bregenz.at/
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&hl=ja&inlang=ja&lr=&ie=Shift_JIS&q=Kunsthaus+Bregenz&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5
Mario Merz
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&hl=ja&inlang=ja&lr=&ie=Shift_JIS&q=Mario+Merz&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5

P.16
シンボルを越えて

Robert Venturi
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&hl=ja&ie=UTF-8&inlang=ja&sa=X&oi=spell&resnum=0&ct=result&cd=1&q=Robert+Venturi&spell=1
ポストモダン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A2%E3%83%80%E3%83%B3

P.17
私達が知覚するオブジェクトは私達にメッセージを持っていない。ただ単にそこに存在するだけだ。私達の知覚の能力は静かに偏見なく無欲に成長する。それらはサインやシンボルを越える。それらは開かれ、空だ。それはまるで私達が意識を集中することができない何かを見ることができるかのようだ。ここにいたり、知覚の真空において、記憶が浮上し、その記憶は時間の深遠から生じたように見えるものである。
エドワード・ホッパーのペインティングが示すように、日々の生活のありふれたものごとの中に力がある。私達はそれを見て体得するため十分な時間それらをただ見なければならない。

→余談だが、Lookとseeのニュアンスの違い。なんか最近見たNHK新感覚英語の単語のコアイメージの例文のようだ。(井戸)

Edward Hopper
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Edward+Hopper&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=&sa=N&tab=wi