El croquis 83 Peter Eisenman 1990-1997

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Eisenman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

Alejandro Zaera-Polo(アレハンドロ・ザエラ・ポロ)
http://images.google.co.jp/images?svnum=10&um=1&hl=ja&lr=&inlang=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&q=Alejandro+Zaera-Polo&btnG=%83C%83%81%81%5B%83W%8C%9F%8D%F5

P.8
P.E.:建築のマシーン(機械)はそれ故にいくつかの決定されたルール(重力、空間、占有、機能)で始まるだろう。この感覚での建築はいつも建築のように見え、ジャック・デリダが言うようにそれはいつも意味をなすだろう。しかし、ウィトルウィウスが「有用、堅実、歓喜」という彼の有名な言明を言って以来、建築はいつも何かのように見られてきた。ウィトルウィウスは、これを言う中で、建物は立っていなければならないなんて意味していない。なぜならすべての建物は立っているからだ。彼が意味していたことは、建物はそれらが立っているように見えるべきだというものであった。これは表象としての建築の、建築のイコン的(像としての)機能の始まりであった。そのイコン的(像としての)機能、つまりその既に与えられた体現の状態を取り除く為に、人は建築の手段をその図像性から切り離し、その構造と使用としての機能をそれが立っているかのように見えるべきだという事実から切り離さなければならない。これは柱や壁や梁のようなものを純粋な指標的な完全体(整数)として取り扱おうとするプロセスを意味するだろう。しかしながら、もしあなたがその最終の結果がどうなるのかこれらの指標の適用から予測できるのであれば、そのプロセスはその力を失うだろう。もしあなたがそのルールの設置が何処に導こうとしているのか知っていたのであれば、それは既に決定論的になるだろう。建築上のマシーンの私の特別な翻案について私が好きなことは(というのもすべての建築家達はいくらかマシーンの形態を持っている、たとえそのマシーンが個人的なスタイルあるいは個人的な表現であっても)、私達が設置する強制(束縛)の中で、私達が所与(既知もの)の設置(配置・調整)が何であるかを明らかにし、そして私達はそれらにそれら自身の存在を動かし、絡み合わせ、見つけることを許すことである。私達はこの存在物が何処にいこうとしているのか、何になろうとしているのか知らない。伝統的な感覚の中で予想できることはない、そして予想できることがないからこそ、そのプロセスはいくらか著者のコントロールからはずれる・・・。設計(デザイン)の伝統的な感覚に災害が起こり得る!。

Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
脱構築
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E6%A7%8B%E7%AF%89
Vitruvius(ウィトルウィウス)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9

→John Cage(ジョン・ケージ)のチャンス・オペレーションとの違いはなんだろう。また、不確定性原理との比較もありうる。(井戸)

John Cage(ジョン・ケージ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B8
YouTube(John Cage)
http://jp.youtube.com/results?search_query=John+Cage&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2
不確定性原理
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E7%A2%BA%E5%AE%9A%E6%80%A7%E5%8E%9F%E7%90%86

P.9
A.Z.P.:どんなクライテリア(基準)の下での災害?

P.E.:先ず最初に、私達は実際的(社会的)に意味のある、あるいはオリジナルな(独創的な)意図のクライテリア(基準)の価値を減じなければならない。二番目に、価値の起源の問いは既に価値が減じられてきてしまっている・・・。同時に、人は何か新しいあるいは何かほかにないものを作ろうとしない。それでこれらのクライテリア(基準)はもはや実際的(社会的)に意味がない。伝統的な美学上の経験のアイデア(観念・知識)も同様に実際的(社会的)に意味がない。むしろそのマシーンが建築の因襲の中にあらかじめ抑制されていたものの覆いを取り払うようにはたらく。これは伝統的な金言(見識)の中で災害と呼ばれ得るものを導き得た。私のマシーンの各々は違うのに、いくらかのレベルの意図性がある。なぜなら前もってあるマシーンの基本の上で、次のマシーンが展開(発生)させられるからだ。例えばロシアの戦車、M34からM55、M64へと、ロシア人は以前のものの経験からそれをより良くしようとそれぞれの戦車を修正しようとする。そしてこの感覚において、それらは軍事行動するのにますます洗練され複雑になっていくだろう。私のマシーンの操縦者は入れないし、まさしく機械的にはたらけない。私の事務所でそのマシーンの能力のレベルを得るのに約2年かかる・・・。