Holocaust Memorial Berlin
Eisenman Architects
Lars Muller Publishers

Peter Eisenman
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Holocaust Memorial Berlin
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P.66
建築の自主性の定義と媒体として特異性はいつも問題を抱えてきた。なぜならそれらの上位のものとしての議論は形式主義の義務(問責)と社会的な関心の不足に対して建築を開いてきたからだ。多くの者にとって、たとえその第一の機能がいくらか社会的な有用性の状態であっても、はっきりと目に見える美の媒体と同じく、建築は初めてのプレゼンス(現前性)における真実の状態である。ほとんど希にしか建築の査定は、科学や哲学や言語やアートとのその関係に関して、建築の規律上の(分野としての)定義を再考しない。
ある人がサイト(敷地)の特異性とグラウンド(地面、地表、基礎、根拠)つまりこの記念碑の象徴性が彫刻に帰することができたのであれば、それはそのような建築の狭い定義を通してのみである。にもかかわらず、それはもはやファサードの固定したイメージあるは像で示された(描写的な)形の中で明らかにされない建築とそれ自身は過去40年の間に急進的な再定義をくぐり抜けてきた彫刻との間の境界を再定義しようとする試みはそのグラウンド(地面、地表、基礎、根拠)の再概念化の中にまさに正確にある。グラウンド(地面、地表、基礎、根拠)は、いかなる与件(基準)も意図されないサイト・スペシフィックな彫刻とは違って、伝統的に建築の与件(基準)であった。建築はいつもデカルト座標を通して概念化されてきて、グラウンド(地面、地表、基礎、根拠)は直立した人間と建築のオブジェクトへの重要な参照として見られてきた。

P.67
それは、ユダヤ人に定まった場所を与えず、よそ者、あるいはそれ以外にした「血」と「土」(blut und boden)のナチスのイデオロギーの中のグラウンド(地面、地表、基礎、根拠)の考えだった。このように、それはモダニスト的抽象主義の終焉後の建築へのものであり、この作品が訴えるプレゼンス(現前性)の状態としてのグラウンド(地面、地表、基礎、根拠)へのものである。
結局、如何なる批評的作品も先行するその分野の境界を問い、それ故に政治的である。イメージと意味の伝統的な考えに関しての記念碑の沈黙の中で、それは政治的になる。如何なる記念碑的な、あるいは政治的なプログラムjを持たない他のサイト・スペシフィックな作品とは違って、それは二重の(二者の)感覚を創り出すようにその公的な要求をする明らかな象徴主義のその記念碑の頑固な欠乏である。ある人は現在において経験する。他の人は現在において過去の別の経験の可能な記憶を経験する。それがその存在の中でしつこく建築的であるとこれが経験されるのは、この二重の(二者の)時間の感覚とその方法である。