Peter Eisenman
Written Into The Void
Selected writings
1990-2004

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Eisenman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.116
Peter Eisenman:デリダは最初に「グラマトロジーについて」でプレゼンス(存在、実在、現前性)の形而上学の彼の批評を提案し、そこで彼はプレゼンスの形而上学は無批判的で、歴史的に決定された概念であると書く。これから形而上学的な絵画とプレゼンスの形而上学は異なったオーダー(状態、理法、秩序、慣例、種類、様式)の概念であることは明白だ。教会の形而上学が見る人の中に精神性の情動を生み出すかもしれないとはいえ、それは教会の建築の中のプレゼンスの形而上学については殆ど表現しない。同様に、形而上学的な絵画は絵画の中の形而上学のステータス(状態)についてのものではない。むしろ、それは、ジョルジョ・デ・キリコがしたように、しばしば建築的な形象を使うことによってその様な情動を創り出す為に、見る人の形而上学的なあるいはあの世の(超俗的な)情動の創造と関係している。しかしながら、絵画あるいは建築のスタイル(様式)としての形而上学の間には差異があり、それは情動を生み出し、建築における新しいオリジナルな効果(結果)を開くプレゼンスの形而上学の批評を生み出す。
デ・キリコの絵画は簡明で限定されていて神秘的(不可思議)であると言ってもよい程度まで簡素である。それらは崇高な抽象の表象(表現)であり、記憶や、簡素や、ミニマルや、かすかな現実性が浸透され(最大限に満たされ)る様になったアルド・ロッシのドローイングの中で見られる抽象と類似している。建築では、形而上学的な絵画の純然たる現実性がジョゼッペ・テラーニやルイジ・モレッティーやロッシの建物の中で現われる時、それらはそんなにキリコのドローイングと異なるのだろうか?事実、もしロッシの建物が何か不安の形而上学的な情動を創り出すのであれば、これらの情動は先ず彼自身の絵画の中で提案(暗示)された。そしてEsposizione Universale di Romaにおけるイタリアの文明の絶えず付きまとうタワーのアーチと同様に、キリコの作品のうす気味悪い(神秘的な)センス(感覚)に幾らかは恩恵を受けた、テラーニのカサ・デル・ファッショとモレッティのアカデミア・デラ・スケルマは違うのだろうか?絶えず付きまとわれる抽象としてのこれらの建物の意図(意味)と建築におけるプレゼンスの形而上学を問うこととの間の差異は、問いの中のポイント(論点、目的)だ。ロッシの作品はおそらくうす気味悪さ(神秘的さ)の情動を生み出すかもしれないが、彼の建築における作品もキリコの絵画における作品もどちらもプレゼンスの形而上学の問いに向かわない。

Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Giorgio de Chirico(ジョルジョ・デ・キリコ)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&source=hp&q=Giorgio%20de%20Chirico&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Aldo Rossi(アルド・ロッシ)
http://images.google.co.jp/images?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&channel=s&hl=ja&source=hp&q=Aldo%20Rossi&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Giuseppe Terragni(ジョゼッペ・テラーニ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&hs=Efo&q=Giuseppe%20Terragni&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi
Luigi Moretti(ルイジ・モレッティ)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&client=firefox-a&channel=s&rls=org.mozilla:ja-JP-mac:official&q=Luigi%20Moretti&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=N&tab=wi

P.117
Peter Eisenman:形而上学的な絵画と抽象的な建築が最初は同じように見えるかもしれないが、さらなる類似がある。ロッシの作品とキリコの作品両方とも建築における絵画における形而上学の収束(集中)の主題の一つを作る、そしてそれは絵画のコード(規約、慣例)の疑われていない(問われていない)使用の中にある。これらの慣例(図/地、絵画の平面、エッジ・ストレス(縁の圧迫、緊張、強調)、イメージを平らにすること、深い空間と浅い空間)は、(もし形而上学的な見方でなければ)キリコの絵画(とさらに言えばロッシの絵画)とロッシの建築両方の中で形而上学を継続するものの一部である。なぜなら長く維持された慣例があるからだ。それらを新しい内在的な(本質的な、精神的な)効果に開くことは難しかった。