Peter Eisenman
Ten Canonical Buildings 1950-2000

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
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YouYube(Peter Eisenman)
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Rem Koolhaas(レム・コールハース)
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You Tube(Rem Koolhaas)
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P.203
Peter Eisenman:彼の最初の本「錯乱のニューヨーク」で、コールハースはモデルとしてニューヨーク・アスレチック・クラブを使いながら建築のラディカル(根本的、急進的)な概念を提示する。それは伝統的な機能のダイアグラムではなく、むしろ部分と全体の関係性の伝統的なフィジカルな(自然の、地形の、物質の、身体の)隣接(連続)の解体(取り除くこと)の象徴としてのダイアグラムである。コールハースにとって、ニューヨーク・アスレチック・クラブのダイアグラムは伝統的な機能的近接の関係性を問うことの中にある断絶のアイデア(考え)を提案する。コールハースはエレベーターのプレゼンス(存在)は、スタックされた(積み重ねられた)機能的なレイヤー(層)が偶然フィジカルに隣接的(連続的)になり、さらにそれらのフィジカルな近接(連続)の中に機能的な必要性も意味もない、ニューヨーク・アスレチック・クラブの様なスカイスクレイパーの中の隣接的な(連続的な)機能的関係性の必要性を否定することを提案する。その様なダイアグラムは、一つは隣接する断絶と呼ばれうるものを提案し、またコールハースの1982年のパリのラ・ヴィレット公園案にも現われている。コールハースの最もダイアグラム的なプロジェクトの一つである、その公園案は水平なプログラム的なストリップ(細長い土地)の連続として描かれた。ラ・ヴィレットの説教的なプランはプレイグラウンド(運動場、遊び場)のストリップの次にテーマ・パークののストリップを置き、ミュージアムのストリップのそばに発見の庭のストリップを置く。これらの機能的な状態はその様な隣接的(連続的)な空間的関係性を要求しない。ストリップの連続としてグラウンド(地面)の平面を構想する中で、コールハースのラ・ヴィレット案は、提案されたプロムナード(遊歩道)の強い縦線によって繋がれたプログラム的な横の帯のモンタージュを提示する為に図/地のアーバニズムとの関係を絶つ。これはエレベーターで繋がれたニューヨーク・アスレチック・クラブの分離したプログラム的なレイヤー(層)の明白な反復である。これはコールハースに、そのグラウンド(地、地面)それ自身のまさに分配(配置、分布)から始めながら、孤立した建物だけでなく都市のフィールド(領域)もまた再考されうると提案させる。この所与としてのグラウンド(地、地面)の否定は1993年のフランス国立図書館へのコールハースのプロジェクトの中で現われ始め、それは建物の断面においてコールハースの隣接的(連続的)断絶のダイアグラムをさらに発展させる。その図書館は、自由な平面の連続としてではなく、それぞれの階にプログラムの隣接性(連続性)を分配しない差異化された水平の平面の垂直なスタッキング(積み重ね)として断面の中で考えられた。唯一構造的なグリッドだけが床を繋ぐが、それは実際的な理由であり理論的な理由ではない。フランス国立図書館の9つの主要な柱はエレメントを組織化していると主張されうるが、これらの柱は、それらが自由なフォーム(形態、形式)の形態付与への規則正しい背景を提供しないから、自由な平面が主題ではない。

P.204
Peter Eisenman:コールハースは、如何にそれらが壁と交差するかによってランダムに消えたり再び現われたりする柱の主題を否定する。

→コールハースの「錯乱のニューヨーク」は、フーコーや、ドゥルーズ=ガタリの「アンチ・オイディプス」の欲望機械や、デリダの影響を受けたものだ。コールハースはインタヴューに答えているように本当に初期のAAスクールの学生の頃からベルリンの壁への興味の様に一貫して「不在」に興味を持っていた。だから5年もの文献やポストカード研究の後、ニューヨークを題材にして、建築での形而上学(機能主義や人間中心主義や主体信仰)の根拠の不在を暴いた。コールハースはリサーチを行なうが、それはよくある様に地域のリサーチをして研究論文を書いたり「地域や住民の為に」などとは絶対に言わない。何故ならそれは透明でミクロな権力に奉仕することであるからだ。むしろコールハースのリサーチは、既成の根拠ー現象に別の根拠ー現象を提示して私達が普段当り前と思っている根拠の中に既に「不在」が現象していることを言う。そしてそれを出発にしてルールを脱人間中心主義的に過剰作動させ建築を組み立てて行く。だから脱構築そのものだ。
コールハースとの違いとして、初期の住宅シリーズの頃のアイゼンマンにとっては、柱が壁に隠れたり再び現われたりすることは重要である。それはアイゼンマンが建築内部の「言語」を操作して「不在」を現象させようとしていたからである。(井戸)

Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
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Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
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Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
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Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
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