Peter Eisenman Diagram Diaries
UNIVERSE

Peter Eisenman(ピーター・アイゼンマン)
http://images.google.co.jp/images?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=Peter+Eisenman&lr=&oe=Shift_JIS&um=1&sa=N&tab=wi
YouYube(Peter Eisenman)
http://jp.youtube.com/results?search_query=Peter+Eisenman&search=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

P.68
Peter Eisenman:HouseⅢ(住宅3号)(1969年)は、その中でそれは現実のオブジェクト(もの、客体)の知覚の伝統的なヒエラルキーをぼやけさせることを試みていたHouseⅠ(住宅1号)とHouseⅡ(住宅2号)から出発した、だからダイアグラムは実際の建物の中でより容易に読まれ得た。HouseⅡ(住宅2号)では、関係性はフィジカル(物理的、物質的、身体的)なオブジェクト(もの、客体)とダイアグラムを通した建築の内在性との間で確立された。その関係性はその時可能な二重の起源の想像によってぼやけさせられた。HouseⅢ(住宅3号)では、ダイアグラムは伝統的な第一の、第二の、第三の視覚的リーディング(解釈)の間の識別をぼやけさせるように試みた。それが空間の構成(組織化)の第一のシステムであることからHouseⅡ(住宅2号)では構造のシステムから始めたところでは、HouseⅢ(住宅3号)は第一の構造のアイデア(考え)を置き換えることを試みた。ここで柱や部屋の分割(壁)や部屋の中の開口部は等しい誘意性を与えられた。というのも私達の建築を読む方法は物事をヒエラルキー的に見ること(物事を第一のもの、第二のもの、第三のものとして読むこと)であるから、そのようなヒエラルキー的な価値に対して進んでく結果が視覚的に不確定であるように目指した。

P.69
Peter Eisenman:HouseⅢ(住宅3号)は例外ではない。ヒエラルキー的な知覚を混乱させるこのアイデア(考え)は、その見られるものをぼやけさせることの中でその中に新しい地平を開き、それはまたそのようなヒエラルキーをぼやけさせることが建築の内在性の状態(条件)であると提示した。しかし最初の3つの住宅の各々では、ダイアグラムはあるフォーマル(形態的、形式的)で幾何学的なコンテント(内容)がなにか建築の内在性の核心であると仮定していた。
HouseⅣ(住宅4号)(1971年)は最初の純粋なダイアグラムのプロジェクトであった。その一連のダイアグラムはコンストラクション(建造)の完全体のヒエラルキーと関係していたばかりでなく、それらのマテリアリティー(物質性)とも関係していた。HouseⅣ(住宅4号)のダイアグラムは単なる平面とは対照的に、「壁性」のアイデア(考え)の様に、そのダイアグラムの「存在」と関係していた。これはダイアグラムに作用する影響の為の潜在性(可能性)の最初のしるしだった。壁性のサイン(記号)はそのオブジェクト(もの、客体)のマテリアリティー(物質性)ばかりでなくその機能や意味もまた乗り越えることを要求した。

P.71
内在性:EL型

P.72
Peter Eisenman:建築のマテリアリティー(物質性)を乗り越える必要性は建築の単一の内在性の一部としてもまた見られ得た。それ故にその言葉、「平面性」と対照的な「壁性」は、絵画あるいは彫刻のマテリアリティー(物質性)の問題とは対照的に、建築におけるマテリアリティー(物質性)の問題を乗り越える必要を示すために、ダイアグラムのプロセスへ導入された。平面性、それは議論され、彫刻あるいは絵画の存在を説明したが、建築の存在を説明しなかった。他方で、壁性はそれがその中でサイン(記号)が建築になる為に機能や意味を乗り越えなければならない垂直な平面の逆説的な状態である建築と彫刻の間の差異を表現した。しかしながら、機能や意味なしではそのような乗り越える意図的な(表象的な、志向的な)行為を要求する状態はないだろう。ここで、乗り越えるアイデア(考え)の中で、建築はもはやオブジェクト(もの、客体)に対してアプリオリ(先験的、論理的)なエッセンス(本質、実在)の関係性ではなく現実の時間と空間の中の状態である。このコンテキスト(文脈)の中で、ダイアグラムはサブスタンス(不在)とアクト(行為)両方(介入の記録としてのサイン(記号)、単に必要な状態である要素のプレゼンス(存在、現前性)を越えて行く行為)に成る。

P.73
Peter Eisenman:初期の住宅におけるそのような行為の概念は過剰のダイアグラムとして見られた。

→絵画の平面性はグリーンバーグによる。(井戸)

Clement Greenberg(クレメント・グリーンバーグ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0
Immanuel Kant(イマヌエル・カント)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8C%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%88
Martin Heidegger(マルティン・ハイデッガー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%87%E3%83%83%E3%82%AC%E3%83%BC
Ferdinand de Saussure(フェルディナン・ド・ソシュール)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB
Jacques Derrida(ジャック・デリダ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%AA%E3%83%80
Roland Barthes(ロラン・バルト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%88
Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7
Gilles Deleuze(ジル・ドゥルーズ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA
Pierre-Félix Guattari(ピエール=フェリックス・ガタリ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%BF%E3%83%AA
Michel Foucault(ミシェル・フーコー)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC